7日目
7月21日(水)うすぐもり
−ノシャップ岬、宗谷岬そして帰路−
(稚内市〜宗谷岬〜稚内空港)
「ツールド北海道1999」へ
ノシャップ岬、宗谷岬
- 今日も,5時前に起きた。
- 静かに部屋を抜け出し,ノシャップ岬に行く。港沿いを行くと右手の遠くに今日行く宗谷岬がうっすらと見える。ノシャップ岬に着いたが,相変わらず西の方は厚い雲に覆われている。5時半頃なのに家族連れがやってきてシャッターを押してくれという。ボクのシャッターも押してもらう。
- 岬のあちこちをうろうろするが,どうやっても利尻富士は見えない。あきらめて戻ることにした。途中,コンビニで牛乳を飲みながら,「氷雪の門」にでもいってみることにした。
- 「氷雪の門」は小高い丘の上にある。麓から一気に駆け登る。汗でびしょびしょになる。丘の上からは眼下に稚内の街が見渡せ,その向こうに最終目的地の宗谷岬が霞んで見えた。
- 宿に戻ったが,まだみんな寝ている。シャワーが使えないので洗面所で汗を拭き,着替える。サイクルパンツというのは自転車に乗っているときはいいが,それ以外はまったく様にならない。自分の荷物を部屋から出し,パッキングをする。この格好では飛行機に乗れないのでジーンズとポロシャツは,取り出しやすい所へ入れる。貧乏性のボクは,いつもつまらないものまで持ち帰って妻に笑われるが,汚れたTシャツなどは思い切って捨てた。そうこうしているうちに,群馬大生の少年が起きてきた。今日は8時過ぎの電車で網走に向かうとのことである。朝食を頼んでないので,コンビニの場所を教えてほしいという。でも,今朝立ち寄ったコンビニまでは2kmくらいある。ボクは途中でコンビニを見つければ朝食をとれるのでボクの朝食を譲ってあげようかと思った。でも,その前にここで朝食が追加できるか聞いてあげることにした。NOである。最寄りのコンビニを聞くと駅前にあるという。早速,少年に伝えた。少年はお礼をいいながら急いで出発した。
- 朝食は,一番乗りだった。奧のテーブルからつめる。人がだんだん集まってきた。ボクのテーブルも6人の満席になった。全部で20人ぐらいなのだが,その6人の中に仕切屋らしい人がいて,盛んに女の子たちに話しかけている。またパン食。急に「チャリダーさんは何処まで行くんですか。」ときいてきた。この日焼けの顔は,チャリダーとすぐ分かるらしい。「宗谷岬まで行って,稚内空港から帰ります。」「じゃ今日は余裕だね。」「ええまあ。」云々。食べ終わって,すぐ出発しようと荷物をくくりつけていると,先ほどの仕切屋さんが出てきて,自転車の講釈を始めた。以前は自転車に乗っていたらしい。「いいホイールだ。」「帰ったら,チェーンを外し灯油で洗った方がいい。」云々。仕切屋さんは人なつっこい人が多いのかも知れない。「じゃ,気を付けてな。」と女の子二人と街の方へいってしまった。
- 「しゅっぱ〜つ!」「最後の日だ。ヒデバロ号はパンク一つしないでよくここまで600km以上も走ってくれた。あと1日だ。よろしく。」さっきの仕切屋さんと女の子が道路の向こうで手を振っている。「がんばれよ!」「きをつけて!」身体を起こして「ありがとう!」ボクも手を振る。帽子が飛んだ。後ろの自動車が帽子を踏まないように停まって待っていてくれる。サイクルヘルメットはあまりかっこよくない。このツアー中に出会ったチャリダーでかぶっていたのは一人しかいなかった。ボクもかぶりたくはなかったんだが,妻と娘の心配を少しでも少なくできるのならと持ってきた。でも,旅行の後半は,時々,帽子にしている。帽子を後ろ向きにかぶり,お礼をいって走る。
- 稚内の街をぬけ国道40号線から国道238号線に入る。しばらく街並みは続くがすぐ海岸沿いの道路となる。左手後ろにノシャップ岬,前に宗谷岬の薄い陰を見ながら走る。遠望はきかないが,天気はいい。しかも追い風。この辺りに来ると,ライダーも多く,サインを送ってくる。ライダーは午前中は元気でサインを送ってくるが,午後はあまり送ってこない。一概にはいえないが,グループよりも一人の方が,レーサータイプよりモトクロスタイプのほうがサインを送ってくれるような気がする。海岸ではコンブ干しをしている。平坦な海岸道路を行く。太平洋の波を見慣れていると驚くほど波がない。空港を過ぎて,岬をまわったところで,海の中に佇む鳥の一群を見た。なんか妙な景色だ。更に進む。本当の日本最北端の弁天島が見えてきた。その右手に見えるのが宗谷岬だ。
- 「やった〜!と〜ちゃく〜ぅ!」でも,それほど感激しない。まあ,こんなものか。
- まず,順番待ちをして,お願いをして,シャッターを押してもらい、到達記念写真を撮る。そして,妻と娘と応援隊のみんなに電話をする。なんと,全員不在又は留守電。まさか,朝9時に宗谷岬にいるとは誰も思っていないんだろうなと思いつつ,仕方がないのでその辺をうろつく。芝生の上に寝ころび,時間をつぶす。そうだ,喉が乾いたし,お腹もすいた。旅行も最後だし,おばあちゃん(妻の母)がヒデバロは貧乏性だからこれでおいしいものでも食べなさいとくれた2万円がある。すこし,贅沢をしよう。というわけで,食堂に入り,生ビールと貝のつぶやきと最北端ラーメンを注文した。貝のつぶやき700円はつぶ貝の焼いたやつ,最北端ラーメン1300円は蟹爪やホタテやシバエビが入った塩味のラーメンである。今回の旅行で最もリッチな食事だった。また,芝生の上に寝ころび,水際に行って「泳ぎたいな。サイクルパンツだからすぐ乾くし。でも変人と思われるかな。」などと考えながら小魚が泳いでいるのを眺めた。でも,電話には誰も出ない。リアルタイムで喜びを伝えられないのは残念だが,もう帰ることにした。予定よりも2時間近く早いが,空港でゆっくりすることにした。
- そこへ,変なヤツ発見。ヒデバロ号の隣にボクの2倍くらいの荷物を積みさらに米袋まで積んでいるチャリがある。こいつはできる。はっきりいって,今回の旅行で見たチャリダーは,軽装備である。ボクもそうだがユースホステルやトホ宿などに泊まっていたり,旅行日数が短いためだと思う。でもコヤツは違う。生活道具一式を自転車に載せている。コヤツはどこにと見渡すと,最北端の記念碑の前で写真を撮っていた。聞くと1ヶ月礼文島で働いていたそうだ。千葉県出身で,今日は何処へ行くか決めていないとのこと。ちょっと遠いが天塩川温泉を推薦する。そこへ,猿払の方から来たという少年チャリダーが来たので,ヤツはその少年に聞いた。「風はどうだった。」「強い向かい風で,大変だった。」ヤツは「よし,東だ!」と叫んで行ってしまった。
- ボクは,西へ。向かい風15m。稚内は風が強く風力発電をしているとは聞いていたが,この風はすごい。10km/hを超えない。来るときは楽だったが世の中ちゃんと帳尻が合うようになっているんだなどと思いながら,スタンディングでペダルをこぐ。
- 途中,富磯のコンビニで,トイレを借り,ビタミン水を買う。また,走る。でも時間は十分にあるし,最後の走りなので,別に苦にならない。ライダーたちとのあいさつも,この次いつ交わせるかと思うと力が入る。20kmを走るのに2時間かかった。
帰路
- 空港について,ヒデバロ号を分解し,きれいに丁寧に拭いてやった。愛情というもののある部分は愛着であり,愛着は主体の気持ちの持ちようなのではないかなどと思った。それとも,ボクがものを捨てないのはただ単に貧乏性なのかも知れないが。輪行袋に入れ小荷物カウンターで預けた。(JASは自転車を係員が手渡ししてくれるが,ANAは他の荷物と一緒にベルトコンベアーにのせる。両者とも易損品として誓約書を書かせるのは同じなのだが。)汗を拭いて,着替えた。空港の人に迷惑がかかると行けないので,どこで汗を拭いて着替えたかはヒミツである。残りの荷物を預け,最後のおみやげを買った。ビールを飲みながら空港から見える原野の風景を楽しんだ。
- 今日の走行距離は,70kmである。総走行距離は,688kmである。
- ANA574便は,予定どおり稚内空港を飛び立った。
- 来し方を思った。出発地点のえりも岬に行けなかったこと,雨の中を何も考えずにただただ走ったこと,Kさんに合えて友達になれたこと,いろんな人と出会えたこと,たくさんの人に親切にされたこと,最初は不安でいっぱいだったけどだんだん楽しい日々になったこと,など,など。でも…,なにか満たされない気持ちがする…。
- 子供の頃,坂のてっぺんにちょこんと置かれたような雲を見た。その雲をつかもうと,母の止めるのも聞かず懸命に坂を駆け登った。しかし,坂の上に着いてみると,その雲はボクの手の届かないもっとずーっと遠くにあった。
- そうだ,いつか,また旅に出よう。今度は,7000年生きているという縄文杉に会いに。ヨットで太平洋に一人で佇む孀婦岩(そうふいわ)を登りに。そして,自転車でシルクロードを西域のさまよえる湖を見つけに。子供のころからの夢だった何かをつかむまで。
- 「またお前は,いつも雲をつかむような話をして…」と母の声がした。
- 外を見ると,雲に浮かぶ利尻富士が見えた。
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