4日目

7月18日(日)うすぐもり
−富良野から深山峠を越えて旭川、塩狩温泉−


(中富良野町〜美瑛町〜旭川市〜塩狩温泉)

「ツールド北海道1999」へ

早朝の富良野観光

4時50分に目が覚めた。昨晩,寝る前に一緒にお酒を飲んだ公務員の人と5時にファーム富田に出かける約束をしていた。彼は交通手段からするとジェアラーに属するのかも知れないが,北海道や沖縄の離島で次の宿泊地を決めず気ままに滞在する旅行をしているということである。北海道を旅する若い人のほとんどは,往復の飛行機やフェリーだけを決め滞在中は気の向くままという人が多い。特にライダーはほとんどそのようである。1週間で目的を達成して帰らなければならないチャリダーには望むべくもない。うらやましいことだ。
彼は宿の自転車を借りて,といっても誰も起きていないので無断で,ファーム富田に向かう。昨日,同宿の人から7時には観光バスが着いて,早朝から人が大勢いたと聞いていた。でも,まさか5時に観光客は来ていないだろうと思っていたら,ぱらぱらと10人くらいの人が既にいた。心なしか,昨日,Kさんと見たときよりもラベンダーはくすんで見えた。とりあえずNHKテレビの「おはよう日本」ライブカメラのところで写真を撮り,昨日人が多くて来なかったラベンダー畑の中の「倖の舎」(「さきはいのいえ」と読むらしい。Kさんに教わった。でも最初,「人間に幸せの舎」だと思っていた。)で写真を撮った。同じ風景なのに,シチュエーションで感動が違う。
ほどなく,「彩香の里」に行こうということになった。Kさんが「彩香の里」というのがあるといっていた。そして,彼女を送って帰ってくる途中の坂の手前で,「←彩香の里」という案内板を見たような気がする。でも,彼が昨晩の花火大会会場の脇の道を右折してしまった。確かに案内板には「↑彩香の里」とある。これは丘越えになると思ったが,まあいいやと思いながらついていった。ところが,途中で彼がダウン。自転車を降りて歩き始めた。仕方がないので一緒に歩く。ウグイスが鳴いている。ハンガーノックをおこさないためにいつも持っている携行食のクッキーとアメをあげる。
道路の案内表示は,ほとんどが自動車で移動する人のためであり,オリンピックマラソンやツール・ド・フランスなどで見たことがあるかも知れないが,徒歩や自転車には,距離とともに高低差が重要な情報なのです。
中富良野森林公園を経由して,彩香の里についた。
ここにも,もう人がいて,大きなカメラを持った人たちがラベンダーの花を撮している。でも,やはり日照の関係か,あまり鮮やかさは感じられない。
今度は,ボクが道案内することにした。来た道とは逆の道を更に下り,いつもの坂の下に来た。この上り坂はたいしたことがないと彼は喜んだ。ボクは予定していた昨日のコンビニに行くことにした。コンビニといっても2km先だから驚いてしまう。彼も来るという。そこで,泥だらけのヒデバロ号を洗うために台所用洗剤とたわしを買った。昨日,Kさんと来たときにコンビニの外の水道とホースに目を付けていたのだ。店の人にお金を払いますので水道を使わせてくださいというと,お金はいらないが使っていいよといわれた。彼を先に帰し,ヒデバロ号を丁寧に洗った。昨日から右のペダルの辺りで異音がするので気になっていた。でも,こびりついた泥と油はなかなか落ちない。30分くらいかけたが適当なところで妥協した。たわしをきれいに洗い,洗剤のまわりをきれいに拭いて,「これもう使わないのでお礼にあげます。何かに使ってください。」というと,ビニール袋をあげるから持っていけという。「でも,自転車旅行の荷物になりますから。」というと,お礼にポケットティッシュを2つくれた。このティッシュが風邪の治らないボクにとってとってもありがたかった。ヒデバロ号を洗ったのでお腹がすいた。外にテーブルと椅子があったので,低脂肪牛乳とやきそばと魚肉ソーセージを買って,食べた。

富良野から深山峠

宿では,7時を過ぎた頃なのでみんな起きていた。パッキングを開始したが,7時半に朝食のため1階へ降りていった。パンとジャガイモとサラダとヨーグルトと紅茶けっこうおいしく食べた。そこへ,電話。「Kさんかな」と期待しつつ着信ボタンを押すと,応援隊の一人であるTさんから。後日,元気がなかったので心配したといわれた。みんなと食事中だったので,大きな声が出せなかったと説明した。オーナーさんが今日は上富良野のスーパーで富良野メロンの特売をしていると教えてくれた。パッキングを再開し,その間,牛乳1リットルを飲んだ用心のためにトイレに2回行った。芯を抜いたトイレットペーパーとガムテープは装備として不要なものと判明し,オーナーさんにプレゼントした。
ヒデバロ号にたっぷり注油し,荷物をくくりつけているうちに,次々に宿泊者が出発する。その人たちが「いい自転車だね」とか「どこまでいくの」とか「がんばれよ」とか話しかけてくるので,いっこうに作業が進まない。そんなこんなのうちに,最後の方になってしまった。
上富良野までは,富良野から中富良野に来た広域農道の延長をさらに進む。とにかく真っ直ぐである。時々,十字路で左右を確認するのを忘れてしまうくらいの長い道だ。上富良野の街に入って迷ってしまった。あまり長い道を走るのに馴れてしまったので方向感覚が鈍くなったようだ。店もあり町の中心街なのだろうけど人がいない。道を尋ねようと人を捜す。洗車していたガソリンスタンドの人が親切に教えてくれた。でも10時からという。あと30分ある。行くあてもないので,そのスーパーへ行くことにした。すると,目的のメロンは,屋外で売るらしくテントの下には既にメロンが並べられていた。事情を話すと快く,売ってくれた。鳥取県と福井県の友達に富良野メロンを送ることができたうえに,貴重な30分が節約できた。
国道に出て,深山峠までは上り。あッ!日の出公園に行って来るのを忘れた。まあいいか。どうせ,またラベンダーなんだろうから。
初めてチャリダーとすれ違う。グッドラックとサインを送る。相手はちょっとはにかんで手を振ったような気がした。

深山峠から旭川へ

深山峠の頂上についた。なだらかなラベンダーの丘と十勝岳の絶景のポイント。といわれている。天気はいいが,十勝岳は見えない。
峠を下って,といっても丘の起伏が美しいということは,道路にも起伏があるということである。そして,ラベンダーが最盛期の日曜日なので自動車が多いこと。時々,まわりの景色を見ながら狭い路側帯を登っていく。すると,自動車が渋滞し,いろんな色の花が咲いている丘が見えてきた。美馬牛の「かんのファーム」である。渋滞する自動車の間をすり抜けてヒデバロ号を押し向こう側に渡る。すごい人である。縁日のような賑わいである。ファーム富田の方が品があるかも知れないが,こちらの方が斜面に花々が植わっているし,広いのできれいに見える。(後で分かったことだが,ボクはファーム富田で「彩りの畑」を見ていなかったのである。)はじめは,丘の麓で記念写真を撮って帰るつもりだったが,丘の頂まで上った。
渋滞する自動車の間をすり抜けてヒデバロ号を押し元の車線に渡る。そして,また,アップ・ダウン。確かに,ここの丘陵は美しい。突然,工事渋滞である。道路工事は嫌いである。路側帯は使えないし,自動車に追い立てられるし,特に交互通行を伴う工事は自転車にとって大敵である。どうしようかと信号待ちをしながら考えていると,左の方に「ケンとメリーの木」というのがあるということなので,国道を左折して坂を上っていった。けっこう坂がきつい。狩勝峠でも降りたことのないのにヒデバロ号を降りてしまった。よく考えると昨日の朝からろくなものを食べていなかった。(ごはん食推進委員会会員のボクはパン食は主食と思っていない。)でも,今日の旭川ラーメンとユースホステルでのジンギスカン食べ放題を楽しみにして,携行食を食べ,アメをなめた。鳥の声も聞こえ,さわやかな風も感じ,景色もゆっくり観た。一息ついて出発。「ケンとメリーの木」というのは単なる木だがまわりの景色がすばらしかった。国道へ出ようと先に進む。左折して国道237号線を出たのだから,右に国道237号線があるだろうと思い,Y字路を右に。しばらく進むと,老夫婦が風景写真を写している側に貸切りタクシーが停まっていて,運転手さんが立っていた。旭川に行きたいのですがと道を尋ねると,親切に教えてくれた。そして,ここまできたのならもう少しほかの所を見た方がいいよと,ボクの地図(マップルをフロントバッグのケースに入るように切ったもの)では粗すぎてダメだからといって,「丘のまちびえいロードマップ」というコピーした地図をくれた。本当に北海道の人は親切だ。丘をいくつか越え,パッチワークの丘らしき風景が見える。丘の彩りもきれいだが,見渡す限りの広大な景色がいい。

美瑛にて

「マイルドセブンの木」とかの側を通ったが,特に木を見に来たのではないので,写真の撮影はなし。そのまま,国道452号線に下り,右折して国道237号線に向かう。ちょっと遠回りをしたが,まだ,昼前だし,天気はいいし,予定外のいい景色を見て,十分に満足している。
旭中央で国道237号線に合流し,左折する。ここから旭川までは,直線のなんの変哲もない道路である。美瑛川を左に見ながら,昨日からカッツ,カッツと異音を発するヒデバロ号を励ましながら旭川を目指す。旭川に行けばそれなりの自転車屋さんがある。そして,今日の宿に乾燥機がないといけないので,コインランドリーを見つけなければ。「がんばれヒデバロ号!」

旭川

旭川について,まず,旅行情報誌で見た「青葉」の旭川ラーメンを食べるために駅前に行くことにした。駅前に行って,ラーメン屋さんはとうろうろしていると,背後から「すいません。」とガードマン風のかっこうをしたおじいさんに呼び止められてしまった。ここは歩行者天国であるとのこと。あやまって,ついでに「青葉」の場所を聞くと,親切にも「梅光軒」と「山頭火」というラーメン屋さんの場所まで教えてくれ,「わしは梅光軒がうまいと思う。」とのたまわった。ボクは,ラーメン好きである。特に,北海道は,味噌味の札幌,塩味の函館,醤油味の旭川と心に決めていたが,旭川ラーメンは食べたことがなかった。それではと,向かいにあったデパートのトイレで手を洗い,はやる心を抑えながらビルの地下にあるという梅光軒に向かった。しかしである,なんと,20人くらいの人が階段の下まで列を作っているではないか。歩行者天国に荷物を載せたまま置いてきたヒデバロ号も心配なので,その列に加わることを断念した。では,やはり青葉ということになり,同じく梅光軒をあきらめたオバサン集団と競争で青葉に向かう。青葉は大通の歩道に面した小さなお店だった。その前に椅子が出ており,更にそれにあふれた人は,歩道の花壇の枠にに段ボール紙が敷いてあり,それに座って待っている。15人くらいが待っていたが,すぐ側にヒデバロ号を立てかけられるし,待っている客に注文を聞いているから回転が速そうである。お腹がすいていたから,大盛りチャーシュウメンを頼もうかと思ったが,今晩の夕食を考えて醤油ラーメン650円にしておいた。味は,煮干しの出汁が効いた和風味で,まあまあだった。ラーメンは冬のものかも知れない。
お腹は一杯になったし,自転車屋さんを捜すことにした。インターネットでとったサイクルショップリストを持っているのだが,住所だけでは場所が分からない。何処かで尋ねようと2,3分いくと,なんと自転車屋さんを発見。けっこう大きい。「ごめんください。」と大きな声で中へ。しばらくして,おじさんが出てきたので症状を話すと,「だいたいそういうときは,ペダルの取り付けがゆるんでいるんだよ」といって,ペダルレンチでグイとやった。ボクは,「ア!」(そんな強くやったら輪行の時,取れなくなっちゃう。)お金はいいというので,丁寧にお礼をいい出発。でも音はする。
しかたがないので,DIYショップでオイルを買い,たっぷりと注油することにした。しかし,なかなかDIYショップがない。旭川の街は路側帯が狭く,歩道を自転車が走れるようになっている。しかし,歩道は段差があり走りづらい。今は一番気温の高い時間のうえ,道路の照り返しがきつく,信号が多いので発進と停止を繰り返すので,暑いなんてものじゃない。とっても熱い。やっと,国道40号線沿いのDIYショップを見つけ,怪訝な顔でボクを見る店員にトイレの場所を尋ね,410円でオイルを買った。これでもかというくらい注油した。すると携帯電話が鳴った。「フラノのKです。がんっばっていますか。」との新応援隊員からの声援。さらに,「塩狩温泉ユースホステル」に電話で乾燥機があるかと尋ねるとあるとのこと,当面の悩みも解消し,元気が出た。

旭川から塩狩峠

時刻は14時半。また,炎天下を走る。市街地をぬけると陽炎が見える。とにかく,長い直線道路をひたすら走る。なんの変化もない道路をただ走る。雨の道路をただ到達することだけを目的に走るのもつらいが,炎天下の道路を到達することだけを目的に走るのもつらい。路側帯が狭い上に,自動車が高速で追い越していくので,MDを聞く気にもなれない。比布町(ぴっぷ。ピップ・エレキバンの発祥地)に入るところに難所のトンネルである。トンネルは嫌いだ。そもそも,トンネルは巾を少しでも広くすると大きく工費が膨らむので,例外なく歩道と路側帯が犠牲になる。その狭い路側帯をトンネルの壁とよく見えない路面状態を気にしながら,ゴォーという恫喝するような音をたてて後ろから追い立てる自動車に怯える。そもそも,自動車を中心とするというか,道路というものを自動車至上主義でとらえている日本の文化では,歩行者や自転車や馬車や牛車で通行するもののことは考えていない。車椅子なんて想像もしていないだろう。歩道が確保できなくても車道の巾は確保する。歩道をつくっても車道との段差があったり,自動車の出入りのために歩道が切り下げられ歩道が波をうっている。酒が好きだった父を亡くなる前に病院から車椅子で連れ出し,居酒屋へ連れていったことがある。その時に,道路行政を担当する役人の優しさの欠如と想像力の不足を強く感じたことがある。
遙か彼方まで自動車群が来ないこと確認してから,全速力でトンネルを走り抜ける。
また直線道路だ。しばらく走ると,もう飽きた。そこで,体を起こしてまわりを見ると,反対車線には広い路側帯と歩道があるではないか。ここで,初めて気が付いたのだが,北海道の郊外の国道には,片側に歩道があるところが多い。確かに,両側に歩道を作っても通行人がほとんどいない。ボクは,自分の街で自転車に乗るときは,ほとんど歩道を走るが,旅行の時は,左側車線の路側帯か路側帯と車道を区分する白線の上を走る。その理由は,街では駐停車している自動車がじゃまで路側帯を走れないこと,旅行ではパンクが大きな時間ロスとなるが,そのパンクは歩道と車道との段差で起きるスネークバイトが原因となることが多いことなどからだ。でも,飽きた。そこで,少しぐらい路面の状態が悪くても,段差があってスピードがでなくても,MDを聞きながら歩道を行くことにした。ヘルメットをはずし,帽子を後ろ向きに被り,イヤホーンを耳に突っ込む。自動車を気にしないで,時々現れる十字路の歩道と車道の段差を気を付けながら,景色がいいとは決していえない国道40号線を進む。でも,ありがたいことに異音はいつの間にかしなくなった。大きく左にカーブして,少しづつ気にならないほどの上り坂の直線道路が続く。
予定より早く宿に着けそうだ。そう思った瞬間,のどが渇いた。でも,自販機もなければコンビニもない。何かを飲もうと思ってから30分後ぐらいに国道沿いに自販機と酒屋を見つけた。飛び込んで缶ビールを買った。今日の宿泊地の塩狩温泉までは後わずか。酒屋の前のベンチに座り,今朝買った魚肉ソーセイジを食べながらビールを飲んだ。うまかった。ゴミを店の人に捨ててもらい,近くの蘭留(らんる)という駅へ行く。別に目的はないが。そこで子供を遊ばせていた若いママにシャッターを押してもらう。
また,国道40号線の歩道に戻り,坂を上る。登り坂も塩狩峠ぐらいではもう苦にならない。途中,「熊出没!注意!」の立て札と熊が車道に入らないようにするためか柵があった。熊はヒデバロ号よりも速く走れるのかななどと考えながら上った。塩狩峠を越えた。塩狩温泉ユースホステルは国道沿いなのですぐに分かった。更にラッキーなことにその手前はコンビニなのである。早速,寝酒のホワイトリキュールを買った。ここで二人目のチャリダーにあった。道路情報を伝え,グッドラックと別れる。

塩狩温泉

塩狩温泉ホテルに併設されているユースホステルに到着した。「こんにちわ!おせわになります!」とフロントに向かって大きな声をかけると,女の人が出てきた。先日この宿を予約するときに声を聞いた人だと思うが,その声にふさわしい美しい女性だった。「ユースにお泊まりいただいた方にはスタンプを差し上げます。」と彼女。サンプルを見るといろいろなスタンプがある。一番気に入ったのを目一杯力強く指さし,「これ,ください。」すると,彼女はスタンプを紙に押してくれた。ペタ。
荷物を降ろし,宿帳を記入し,シーツをもらい,部屋に入った。相部屋の人は不在だったので,荷物を適当に置いて,まずは風呂に入った。大きな風呂である。しかもボク一人。最高の気分でゆっくり風呂に入ろうとして,びっくり。熱くて入れないのだ。ホテルが悪いのではない。今日一日の日焼けで太股から下と腕が真っ赤なのである。でも,効能書きを見ると火傷にいいと書いてあるので,我慢して入る。「あっちっちぃ!くそぉ〜!」
そして,到着している人の少ないうちにと,風呂からあがって,コインランドリーで洗濯を開始。入院している父の洗濯物を2,3日おきに洗濯していたから,洗濯は,うまい。まずは,洗濯物を入れ,洗剤を入れ,コインを入れる。そして,時間が来ると音が鳴るように腕時計をセットする。すなわち,待ち時間の使い方がうまいのである。この待ち時間を利用してコンビニへビールを買いに行くのだ。そこへ,右側のドアーが開いて,「キャ!びっくりした。」との声。ボクは,すかさず「ここは女湯ではありませんよ。」彼女はまた「びっくりした。」ボクはまた同じことをいいながら考えた。最初の「びっくりした」は率直な感情表現である。きっと,彼女は予想外のことが起きたので驚いたのだろう。その予想外のこととは,鍵のかかっていないトイレのドアーを開けたら人が座っていたとか,女湯だと思ってドアーを開けたら男の人がいたとかであろう。すると,この場合,女湯の入口のドアーだと思って開けたら,男の人が洗濯していたので驚いた。ということであろう。しかし,彼女はここがランドリーということが分かっていて,開けてびっくりというのなら,彼女の想定能力の欠如か,びっくりさせた方に問題があるのかということになる。または,「こんなことに驚いている私って,なんてかわいいのだろう。」と彼女の自意識過剰ということか。まあいいや。でも普通は「失礼しました。」くらいいうよ。
コンビニでビールを買って,部屋に戻り,携帯電話とMDプレイヤーの充電をしながら,荷物の整理をして,応援隊に電話する。洗濯物を乾燥機へ移すついでに,もう一風呂浴びる。あがって,ビールを飲む。風が涼しく,さわやかで,夕方の薄暗くなりかけた木立の中から蝉の涼しげな声が聞こえる。今日は行程の中日である。今日も無事終えた。
同室の人が帰ってきた。簡単なあいさつをして夕食に行く。ホステラーは,石川県から来たという少年ライダー3人,ここに連泊しているという同室のドライバー,キャの女性ライダー,所沢から来た女性のドライバー,京都大学農学部の女性ジェアラー。夕食は名物ジンギスカンの食べ放題。食堂で飲む分まで持ち込みでは悪いので,自販機で買ってきたホテルの高いビールを飲みながら,ラム肉と行者ニンニクとキャベツを焼いて食べる。
同室の人は,よくユースホステルにいる仕切屋タイプ。髪は癖毛で,少しデブ。メガネをかけていて少し早口で多弁であるが,愛想はあまり良くない。仕切屋は概ね常連が多い。その彼が女子大生に「何してるんですか」と職業を聞いた。彼女は学生で,富良野の方の演習林に行く途中にここに立ち寄ったといった。でも,全員が学生には見えないどう見ても30才ぐらいだというよな顔をして彼女を見た。ボクは端に座り,左に女子大生,前が仕切屋,その左が所沢のドライバー,その向こうに少年ライダー達とキャが座った。リーダーさんがとヘルパーさんがさかんに肉を持ってくる。仕切屋さんは一生懸命みんなに話しかけている。ボクは,最初は遠慮がちだったが,話を聞きながらひたすら食べる。途中,洗濯物の乾き具合を確認して,乾燥機にコインを入れる。
食堂に戻ると,食べているのは仕切屋さんと女子大生。また食べ始めたところで,ヘルパーさんがあとどれくらい食べますかと尋ねる。あともう少しと女子大生がいうとドンと1kgくらい載せていった。結局,ボクが700gくらい食べる羽目になってしまった。
部屋に帰って休憩し,洗濯物をたたんでると,仕切屋さんが21時からティータイムなので食堂へ行こうという。さっき,リーダーさんが明日の道を教えてくれるといっていたのを思い出した。みんなで情報交換をしたがボクに役立つ情報はなかったので,富良野と美瑛のことを少し話し,リーダーさんに名寄(なよろ)から美深(びふか)に向かう道について教えてもらい先に寝ることにした。「おさきに。おやすみなさい。」というと,「おやすみなさい。」というみんなの声に混じって,仕切屋さんの「チャリダーは体力勝負だから。」という声が聞こえた。

たぶん,22時過ぎには就寝。夜中に太った仕切屋さんのいびきで時々目覚める。
本日の走行距離は,102kmである。

「翌日(5日目)」へ


「ツールド北海道1999」のページに戻る