3日目
7月17日(土)うすくもり
−狩勝峠を超えて富良野へ−
(新得町〜狩勝峠〜幾寅駅〜富良野市〜中富良野町)
「ツールド北海道1999」へ
狩勝峠、幾寅(ぽっぽやの幌舞)、樹海峠
- 今日も5時頃に目が覚めた。すこし頭が痛い。フツカ酔いのようだ。
- 今日泊まる宿には乾燥機がない。そうだ洗濯をしよう。まだ,誰も起きていないし,いま始めれば出発までには乾くだろう。ということで,洗濯機にシャツやパンツ,タオルなどを放り込み,ヒデバロ号の点検と注油をした後,新得駅まで行ってみた。何にもなかった。朝食の前に洗濯物を乾燥機に移そうと脱衣所に来てみると,なんと乾燥機が回っている。昨日のうちに洗濯した人がいたらしい。また予定外である。しかたなく,濡れた洗濯物をビニール袋に入れパッキングする。おいおい,今日は狩勝峠(644m)を越えるんだぜ。少しでも軽い方がいいのに。
- みんなへの挨拶もそこそこに,出発する。ユースの前でアベックのライダーさんに写真を撮ってもらった。
- 8時頃に出発。今日は,くもり。これから2時間で,16km走り,450m登る。千葉県で最も高い山が愛宕山の408mである。雨でなくてよかった。途中のコンビニでビタミン水を購入し,登り始める。時々,追い越していくライダーがサインを送る。昨日話をした人もいるかも知れないが,ライダーは一瞬にして追い越していく。
- きつい。ヒデバロ号を降りたくなるが,5合目,8合目,頂上で休憩すると決めた。うすぐもりだけれど山の日差しは強く,フツカ酔いと風邪による鼻づまりで,とにかくきつい。「ずーっと続く登り坂はない。いつかは下りが来る。」などと,徳川家康とか水戸黄門とかが家訓としていいそうなことを考えながらペダルをこいだ。
- 5合目の休憩は,梅干しとビタミン水。けっこう登ったため景色がよくなったので,先を急ぐ。今日は小鳥の声も聞こえ,路側帯も働き者のアリが忙しそうに動き回っていた。額の汗がフロントバッグにしたたり落ちる。8合目の休憩をとらずに一気に頂上へ。交通量はあまり多くなかったが,狩勝峠パーキングでは女子トイレで行列ができるほど人がいた。景色は途中で十分見たので,ここでは風景写真を撮っていたおじいさんにシャッターを押してもらうだけにした。
- 下りは快適。登りは8km/hで,下りは35km/h。さっきヒデバロ号の鍵をはずそうとしたとき,予備のキーホルダーから交通安全のお地蔵さんが取れて落ちた。そういえば,娘に電話したときに「チャリでバイクについていこうなんて思っちゃダメだよ。」なんていっていたけ。少しスピードダウン。
- 幾寅(いくとら)まで快調に走る。手を小さく振る人,大きく振る人,親指を上に突き出してグッドラックのサインを送る人,握り拳でガッツのサインを送る人,こっちもバイクの音が後ろから近づいてくるとサインを返す準備をする。中には自動車から身を乗り出して両手を振ってくれる女の子もいた。
- 幾寅(映画「ぽっぽや」では幌舞)駅は,狩勝峠以上の混雑だった。観光バスが何台も停まり,無人単線の駅は首都圏のラッシュ時のにぎわいだった。
- 「ぽっぽや」は,未だ見ていない。見たいとは思うのだが…。
- にわか観光地のこの辺りでは食事ができないので,2km位先の「道の駅南ふらの」に行くことにした。ヒデバロ号に鍵をかけて,施設に入ろうとすると,中年のライダーさんが話しかけてきた。「何処から来て,何処へ行くの?」「新得から来て富良野に行きます。」「地元の人?」「いいえ,千葉から来ました。」「北海道は何処をまわるの?」「えりも岬の近くの広尾というところから宗谷岬まで行きます。」「ふーん。何日で?」「1週間です。」「えらいねエ」とさんざん感心される。「じゃ,がんばれよ。」と埼玉県のおじさんライダーは行ってしまった。
- 中に入ると,食堂は軽食しかない。そこで貧乏性のボクは携行食とアイソトニックウォーターで食事することにした。でも,いつも飲んでいるヴァームウォーターやザバスがない。エネルゲンさえもない。しかたなく,なんとかウォーターを買った。ほかにめぼしいものはないかとうろついていると,南富良野農協が販売する南ふらのメロンがあった。親友のYが「北海道の土産はメロンがいい。」といっていたのを思い出した。夕張は通らないので稚内空港で木彫りの熊でも買ってごまかそうかと思っていた。しかし,夕張メロンではないが,何となく南ふらのメロンというのもおいしそうな気がして,5個入り1箱をやつの家に送る。
- ほどなく出発。天気がよいことがありがたく,気がせく。
- 樹海峠は,ほとんど印象に残らない。ただ「熊出没!注意!」の立て看板を初めて見た。確かに熊(ヒグマは羆と書くらしい。)がでそうだ。熊が出たらどうしようかなどと考えながら走った。東山まで下ったところで,右折すると麓郷(ろくごう)へ行く十字路に出た。1分くらい迷ったが,予定どおり真っ直ぐ富良野に行くことにした。熊は怖いし,中富良野に宿を決めたのは出発する直前だったので,富良野で観光するところを決めておらず,早く着いて観光することにした。ただ,ひたすら走る。富良野市に入る手前でメロンやトウキビを売ってる店が多くなった。そういえば,お腹がすいた。ふかしトウキビを食べることにした。そこの店の人に写真を撮ってもらう。とっても,おいしい。
- また,走る。富良野が近くなってきた。堆肥なのか飼料なのか田舎のにおいがする。自転車は,風や気温や臭いなどを直接五官で感じることができる。自転車に乗るのが好きな理由の一つだ。
- その時,前方の遙か彼方から光が現れた。ボクは,ヒデバロ号に乗っているので左側通行である。その左の歩道の奧から光が近づいてくる。それはなんと!あこがれのトホダーであった。身長は1m65cm位の小さな体に大きな荷物。ニコニコしながらゆくっり歩いて来た。後光に見えたのは背中の銀マット(寝袋の下に敷くポリウレタン製のマット)かも知れない。すれ違うとき,ボクは最大の敬意を込めてVサインとグッドラックのサインを送った。彼も大きく手を振った。北海道では,旅行者をその交通手段で呼ぶことが多い。自動車で旅行する人はドライバー。バイクはライダーで,自転車はチャリダーである。電車で旅行する人はジェアラー(JRer)と呼ばれ,一番尊敬されるのがトホ(徒歩)ダーである。
- ボクは,涙が出るほど感激した。なぜ一緒に写真を撮らなかったのか悔やまれる。そんな気も起きないほど感激したのも事実だが。(7日間でトホダーにあったのはこの1回だけだった。)
富良野到着
- 富良野の街に入った。夏のフラノは初めてである。北の峰スキー場は見えるが,十勝岳は全然見えない。当初の予定で泊まろうと思った「ライダーハウス宝来」の前を通った。
- ライダーハウスというのは,北海道のいたる所にある素泊まり無料から800円までくらいの宿で,男女別相部屋で布団は別料金,当日予約OKというシステムになっている。今回の旅行もお金がかからない順に,キャンプ,ライダーハウス,ユースホステル,とほ宿(民宿だが男女別相部屋),公共宿泊施設,ペンション,ビジネスホテル(旅館),シティホテルが候補にあがったが,キャンプは,荷物が多くなること,時間的な制約がきつくなることから断念した。ペンションにはシングルがなく,シングルのあるシティホテル(富良野プリンスにはシングルがない)は帯広,旭川,稚内にしかない。そして,羽田発帯広行きの始発便の到着時刻から1週間後の稚内発羽田行きの最終便の出発時刻までを持ち時間として,えりも岬から宗谷岬まで自転車で走るには宿泊地にそんなに多くの選択肢はない。初日のえりも岬,狩勝峠の麓の新得,1日の走行距離が100km〜150kmとして宿の少ない旭川から稚内までの宿泊地。するとこんな行程になる。宗谷岬からえりも岬に向かう行程もあるのだろうが,ボクは当初から南から北にこだわった。理由は特にないが。(トホダーは北から南がほとんどらしい。)そんなわけで,富良野以外の宿は必然的に決まった。富良野は民宿,旅館,ビジネスホテル,ライダーハウスなど宿が多いのと,中富良野,美馬牛(びばうし),美瑛(びえい)の何処に泊まってもいいので,最低限,ライダーハウス宝来を目標として予定をたてた。しかし,几帳面なA型のボクは,結局,出発日の前日に中富良野のとほ宿を予約してしまった。だから,今日は中富良野まで行くのに,行程表の今日の最終地は富良野になっているのだ。
- 国道38号線を右折して国道237号線に入った。しかし,何処へ行けばいいのだろう。まだ,時刻は14時だし,中富良野までは8kmだから14時半には宿に着いてしまう。なにしろ,えりも岬から宗谷岬まで走ることが目標みたいなもので,観光地は,えりも岬,狩勝峠,幾寅の駅,富良野のラベンダー,美瑛の丘,旭川ラーメン,サロベツ原野,利尻富士,ノシャップ岬,宗谷岬くらいしか考えていない。旅行情報誌を2冊買ったが,ほとんど役に立たないので家においてきた。
- そうだ,富良野といえばワイン。ワイン工場で試飲ができるはずだ。出雲でも甲府でもそうだった。というわけで,町の人に道を尋ねて道路案内標識をたよりにワイン工場へ。「あった!あった!ワイン工場だ!」でも,丘の上。必死にペダルをこいで,坂を上る。この坂を上ればおいしい冷えたワインにありつける。ヒデバロ号を一番端に立てかけて,鼻をかみ,トイレで身繕いをし,入口で大きく深呼吸をして,中に入った。ワインの製造過程の見学は省略して,直ちに試飲会場へ。しかし,人が多く,後ろから監視カメラが見ていますとの注意書があり,いかにも観光客らしからぬ自分の風体を考えて,6種類のワインを少しずつもっともらしく試飲してやめた。
- おみやげを送らなくてはいけないのでワインの詰め合わせを選んでいると,この近くにぶどう果汁の工場があると書いてある。ワインは小樽とか函館とか富良野でもおみやげにしたことがあるが,いまいち反応がない。ここは一つジュースにするかと,ジュース工場に行くことにした。また,丘越えである。でも,たいした丘ではない。十勝岳は見えないものの富良野盆地が見渡せる。レンタサイクルらしい自転車に乗る人々とすれ違いながら「ぶどう果汁工場」に着いた。20kg近くの荷物を積んでるとヒデバロ号は自立できないので,工場の建物に立てかけて,中に入った。なんとここは,靴を脱ぎ,スリッパに履き替えなければならず,さらに,試飲は赤ジュース1人約10cc1杯のみだった。でも,ここでおみやげを買うつもりできたので,お願いして白ジュースも飲ませてもらった。けっこうおいしかった。ボクは赤の方が好き。そこで,赤4本白3本を自宅に送った。本当はもっと試飲したかったのだが,そんな雰囲気ではないので,もう宿に行き,その近くの「ファーム富田」を見に行くことにした。
Kさんとの出会い(富良野、花火大会)
- スリッパをもとに戻し靴を履こうとすると,赤いスニーカーのひもを結んでいる女の子がいた。ボクもスニーカーなのだがひもは緩く結んだままなので,靴の先を地面でトントンと蹴ればはける。「赤いスニーカーの女の子か。富良野だナー」と思いながら,建物のコーナーを曲がると,ヒデバロ号以外にマウンテンバイクが1台いる。ヒデバロ号は荷物を積んでるんでここにおいたんで,ここは自転車置き場と違うのにと思いながら,鍵をはずし,ヘルメットを着けていると,後ろから,「あなたの自転車ですか。」といわれた。振り向くと,さっきの赤いスニーカーの女の子だった。別にとがめている風でもないので,素直に「はい。」「どこからきたのですか。」「新得から来ました。」「??どこまでいくのですか。」「中富良野まで行きます。」「そうではなくて,どこからどこまで旅行しているのですか。」「えりも岬の近くの広尾という所から宗谷岬までです。」「私も中富良野のファーム富田へ行くところなのでついていっていいですか。」「いいですけど,ボクは道を知りませんよ。」「じゃ,私が途中まで案内します。」ということで,ボクは彼女の後ろをついていく。国道と平行して走る広域農道みたいな道路を走る。「今日は中富良野のラベンダー祭りがあって,そこへ行く途中である。」というようなことをいっているらしいのだが,後ろにいるボクに前を向いたまま話しかけられてもよく聞こえない。振り向かれても危険なので「そうですか。」などと曖昧な返事をする。途中のY字路を右に折れたところで,「ここからは,一本道なので,先を走ってください。」といわれて,先に出た。彼女がついてこられる速度と思い,サイクルコンピュータを見たら,ない。予想もしていないこのような状況になって付け忘れた。フロントバッグ(貴重品が入っているのでこれだけはいつももっていく。)の中から取り出した。時速20kmで走る。後ろから「タイヤが細いですね。」っていっている。本当は,「26インチの2.0ですから細くはありません。スリックタイヤといって溝のないタイヤに交換してあるのでそう見えるのかも知れません。」といいたいのだが,聞こえないと思って,「そうですか。」と答えた。
- 坂を上り,歩道がある。中富良野ユースホステルの前の歩道を併走しながら少し話ができた。彼女はファーム富田のラベンダーを見に来た。そして,夜,花火大会がある。ボクは,ファーム富田の近くの「トホ宿きたぼし」というところに泊まると。車道は,ファーム富田に入る車であふれ,まもなく二人はファーム富田の駐車場に着いた。こんな変な格好のボクに声をかけてきたので,少し用心していたが,別に,病院から逃げ出してきたというような怪しい子でもなく,危ない子でもなさそうである。自転車が好きでスニーカーとジーンズが似合う普通のかわいい女の子である。二人でファーム富田のラベンダーを見に行こうということになったが,さすがにこの格好はつらい。一人なら別にかまわないが。そこで1時間後,またここで会うことにして,「ボク,ヒデバロといいます。」「わたし,Kといいます。」
- ボクは,「とほ宿きたぼし」へ。ファーム富田から2,3分の所なのに,道が分からず遠回りして15分もかかってしまった。
- 「こんにちわ!おせわになります!」血相変えて変なヤツが飛び込んできたと思ったでしょう。とりあえずヒデバロ号から荷物を降ろして部屋に置き,シャワーを浴びた。落ち着いたところで,応対をしてくれていた若い人とオーナーさんに改めて挨拶し,宿帳に記帳した。外に水道がないとのことでバケツに水をくんでヒデバロ号を洗った。洗いながら,きっと,あの若い人は,子供のころアトピーかなんかで都会暮らしができなくなり,父はその子のために富良野に来て民宿を始めたんだ。母は田舎暮らしになじめなくて離婚したが,その子ももう大きくなって病気も治り,父を手伝っているんだ。などと勝手に考えた。
- 約束の1時間後が近づいてきたので,夕食をキャンセルし,すり切れたジーンズときれいなTシャツに着替えた。なぜジーンズがすり切れているかというと,通勤などジーンズをはいて自転車に乗ることが多いので,膝,足の付け根の所が横にすり切れることが多い。いいジーンズは未だ通勤に使うし,短パンでリムジンバスや飛行機に乗るのは妻が反対する。でも知り合いに合うわけでもないので,まあまあのジーンズにした。逆に,シャツは,持ち過ぎたと後悔するほど持ってきた。急いでジーンズをはいたので,足の指を左の膝の穴に入れてしまった。ビリッ。あっ!膝の所が8cmくらい裂けてしまった。このジーンズのほかは,サイクルパンツと短パンとジャージしかないので,そのまま,これで行くことにした。
- ファーム富田の「香水の舎」(こうすいのいえ)の前から,Kさんに電話した。お互いここの全体図がイメージできないので,お互いの位置関係が分からない。結局,最初別れたところで会うことにした。人がいっぱいだった。ファーム富田の有名なビューポイントに先ず行った。どうしようかと思っているところに,数少ないベンチの一つが空いた。それ!二人でキャッチ。そこに座り,Kさんは牛乳,ボクはビールを飲んだ。案内してくれたお礼にと乾燥バナナとココナツクッキーを1個づつあげた。彼女は横浜で保母さんをしているのだが,7,8月は富良野が好きで北の峰のホテルでヘルパーさんをしているとのことである。
- 彼女がいうとおり,確かに富良野はいいところかもしれない。富良野がさっきより少し好きになった。
- そのほかに,香水の舎,ポプリの舎などファーム富田のあちこちを見て歩いた。20時から隣の町営ラベンダー園で花火大会があるとうことなので,それに行くことにした。すると,今日は朝ご飯を食べてから携行食とふかしトウキビしか食べていないことを思い出し,急にお腹が空いた。中富良野の駅前に行けばサイゼリアとはいわないがファミレスかなにかあるだろうということで国道237号線に出て中富良野駅前まで行った。何もなかった。駅の中にある観光案内所(といってもパンフレットが差してあるスタンドがあるだけ)で,「富良野・美瑛キャンペーンイベントガイドブック」なるものをもらい電話をした。1件目は,「もしもし,食事できますか」「できません。ガチャン」よく考えたら,ペンションのレストランは忙しい時間だからやめて,レストランにしようということになった。「レストラン オリカ 和洋」とある。電話をする。食事はできる。道順を聞くと上富良野の方に向かいパチンコ屋の角を左折して左側にあるという。パチンコ屋まで3kmくらい,さっきファーム富田から国道237号線に出て右折して駅前に来たが,それを左折して500mくらいのところにパチンコ屋が見えた。行くしかない。ところで,彼女の自転車はつらくないのかなと思って乗ってみると,ぜんぜん重い。よくこの自転車でついてこられたと感心した。自転車を交換した。夕暮れの国道の歩道を北に急ぐ。街乗りと違って,ツーリングで歩道を走ることはほとんどない。でも,安全第一。
- パチンコ屋の角まで来て,コーナーの案内板を見ると「レストランオリカ」の表示があった。でも,そのすぐ上に「ホテルオリカ」と書いてあった。ちょっと悪い予感がした。さっきから西の丘の上というか山の上に新富良野プリンスのような建物がずっと見えていた。あそこまで2km上り50mはある。夕食をごちそうしてあげようとした自分がうそつきに思えてきた。でも断念して,そのコーナーの向かい側にある「セイコーマートだいもん」でビールなどを買い,花火大会の会場で食べることにした。トイレを借りている間に彼女がお金を払っていてくれた。今日から応援隊に入ったのだそうである。大感激!「帰りは北の峰まで送っていき,途中で食事を必ずごちそうします。」といった。
- 花火大会の会場は,町民がみんな来ちゃったと思うくらい混雑していた。ビールケースに板を渡した席はもう空いていない。彼女が持ってきたビニールシートに座る。なにもコンビニまで行かなくてもここで生ビールやヤキソバなどが売っていた。缶ビールは後にして,まず生ビールで乾杯。町長さんや商工会の会長さんと思われる人のあいさつが続く。20時15分くらいから花火が始まった。真下で見ているのでけっこう迫力がある。ドッド〜ン。時々,花火の燃えかすみたいのが落っこちてくる。こんなに近くで花火を見たのは初めてだ。でも,予算の関係か,30分間で終わってしまった。もっと見たかったのに。
- みんなが帰る中,最後までビールを飲んでいると,アベックが写真を撮ってくれというので,こちらも写真を撮ってもらった。
- あとは,送らなくていいという彼女の意見に逆らい,暗い道を蛙の声を聞きながら北の峰へ。片道約10kmである。今日は,既に100km近く走っているが,今日は,楽しいことが多くてとても一日に起こったこととは思えず,疲労を感じない。
- 北の峰の自転車屋さんに彼女の自転車を返し,彼女の働くホテルまで送っていった。「自動車と夜道は気を付けるように。今日はありがとう。」といって別れた。
- 彼女に食事をごちそうできなかったので,旅行から帰ったら,彼女のcolemanの赤いスニーカーとお揃いだったボクのcolemanの赤いディバックを彼女にプレゼントすることにした。
- 中富良野の宿まで一目散。北海道へ来て初めての気持ちのいいツーリング,最大の難所の狩勝峠越え,憧れのトホダーとの遭遇,そして何よりもKさんとの出会い,そんなことを想い出しながら,蛙の鳴き声だらけの田圃を突っ切り,坂を上り,誰もいないファーム富田の脇を抜けて,墓地の前をとおり,やっと到着。でも門限の23時前までには着いた。一人旅の若い人たちとヘルパーさん(アトピーの子供ではなかった。)が,ホワイトリカーを梅酒で割って飲んでいたので,そく,よばれた。
- でも,24時前には就寝。
- 今日の走行距離は,110kmである。
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