第10回同期会(2024年 卒業後56年、後期高齢者)

コロナ禍で2020年予定が延びて、6年のブランクがありました。卒業後56年です。世間では後期高齢者と呼んでいます。
2024年10月29日に京成ミラマーレで101名の参加で開催しました。
会費を半額にしても参加者は変わらなかったが、75歳になっても参加者は変わらないことに驚く。

近況報告欠席者含めて124名分。クラス幹事が一次集計し、川村さんが昔の職業意識を発揮して校正、元新聞社(電波畑だが)の山越君が最終チェック…同期会メール(24年11月4日の同報メールに記してあります)

●同期会当日(今回はカメラのSDカードが壊れ、写真は大川君撮影のパノラマ的な会場風景のみ)

世間の同期会、同窓会と違って千葉高の同期会らしいところは次の通り。
(1)司会…瑞宝小綬章を受勲されている川村さんが和服で品良く。

(2)乾杯…遠路からの参加者の中から、宝塚の土堤内君。ドイツ駐在時の乾杯時の慣用語「グズントハイト」を紹介してくれて、この言葉を唱和して杯を上げる。(越前武生から出席の奥山君が事後に、ベートーヴェンの第9を原語で歌った時に購入したドイツ語辞書を引いて、この言葉の意味が「健康」であるとメールをくれる。)

(3)校歌斉唱…高校時代の音楽部部長の小倉君が吉例の指揮。はじめる前に会場から「キーを出してくれ」との声。

(4)閉会の言葉…今回は3年D組の和気君が担当。従来は「中締め」と称していたが、和気君が「なんで中締めなんだ」と質問。伊藤と調べると、昔の宴会は二次会があるのが当たり前だったようで、それで二次会前の中締め。昭和の名残を一掃しようと改称。

(5)途中に高橋良当君から寄贈の『永遠の朗読劇場 菊地久治作品集と千葉高生』の抽選会がありました。

事務局挨拶の内容も織り込んで、ここでは数字中心の報告。

  1. ホテル予約時は、出席者数は毎回100人前後なのだが、今回は読めない。6年ぶりだし、75歳だから70人くらいかなと部屋を予約。ホテル費用@8500円の内、500円を同期会余剰金から負担(500円×70人=3.5万円)するつもり。それが100人の出席だと5万円の支出となり、近況報告の印刷代が不足するのではと焦る。
  2. 幹事会(10/1)時点で出席予定者が91人。幹事から、「こんなに集まるのならば、今回で終了せずに、またやろう。2年後の喜寿77歳はすぐだから傘寿80歳で開催しよう」となり、唖然。今回が最後だと聞いたから出席に決めたという声も聞いております。そういうことであり、ご了承ください。ともかく5年後もお元気で。
  3. 10回の同期会の全てに出席の方が16名。1回だけ欠席で9回出席の方が14名、8回出席の方が12名。事務局としては大変に感謝しております。そんな状況ですから、連続出席の方で御返事が無い和田君、和田さん、樋口君には幹事で督促の連絡。私が連絡した樋口君は腰が痛くて遠路はつらいとのことですが、携帯椅子を持参して筑波から来ていただき、感謝・恐縮しております。
  4. 遠距離から、高い交通費を負担していただいての参加は、福岡から林田君、宝塚から榊原君、土堤内君、越前武生から奥山君、奈良から堀田君、栄村から杉浦さん、南信州の飯島町(伊奈、駒ヶ根の近く)から宮本君、富士から竹之内君、裾野から衣笠君などです。筑波や勝浦も遠いです。本当にありがとうございます。(榊原君と衣笠君は10回連続出席)
  5. 10回目にして、はじめての同期会出席という方が依田君と柿元君。私は柿元君とは2年次にクラスが一緒。だから57年ぶりだ。1度でも同期会に参加された方は延べ238名となりました。全体の53%が出席されたことになります。
  6. 前回の同期会から6年経ちましたので、この間に逝去された方が17名になり、把握しているだけで全部で60名です(この席で長尾君が逝去されていることを西田君から教えていただきました)。「故人の思い出」のページをご覧ください。

(会場の懇談風景。男の頭は白髪、薄毛、テーブル配置、テーブル分けはクラスごとが基本で和気君が苦心)


●第10回同期会終了後の決算(佐久間(憲)さんには、会場での現金管理等、面倒なことをお願いして感謝しております)

近況報告をコピーで実施だと、30ページ×101人×@10円=30,300円ですが、A3にして印刷、折って中綴じにして約半値近くに抑えてます。

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