ヨーロッパ

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20 ベニス  Date:9/16/2004-Thu-7:41:05-PMe:6/9/2004-Wed-6:07:33-PM

憧れだったベニス、ベネチアにようやく行けた。
時間を超えた都市。そして滅び行く街。

キャサリン・ヘップバーン、ロッサノ・ブラッツィ主演の「旅情」(「Summer Time」)という映画があり、これが丸ごとベニス。

この映画を観た若い頃はベニスの街の風景はともかく、いったいこのキャサリン・ヘップバーンの演じる主人公の女性は一体なんなんだろう?と強く思った。
ひっつめ頭の自意識過剰なアメリカのオールドミスが、夏の休暇にヨーロッパに男を捜しに行く。とうとう最後の街ベニスで妻子持ちの中年男ロッサノ・ブラッツィと知り合い、その中年男から有名な口説き文句で口説かれる。
「腹が減っているときに塩むすびを出されたら、たとえ天ぷらだのすき焼きだのが欲しくてもその塩むすびを食べろ」
すごいよなー。俺には言えない。マアそんな場面に遭遇したことはないけど。
こんなコトまで言われて食べなきゃいいいのに食べちゃうのよ。すぐに。
食べた次の日、男に向かって
「貴方は昼は寝てばかりだけど夜は寝ない」
なんて言うのよ。
ビックリしたなー。
挙げ句の果ては別れ際の盛大な投げキッス。
なんなの?

さて、それはともかく憧れのベニスは真夏だったので暑い。それに海際だから湿気がある。
土産物屋ばかりで、それもベネチアン・グラスやカーニバルの仮面ばかりで目がクラクラし頭の中もグルグル回り出す。
人が多い。尋常じゃないくらいに多い。サンマルコ寺院前も海水ではなく人の波に沈みそう。だが陽射しが強すぎるのでサンマルコ広場も陽が当たるカフェには誰も寄りつかない。
世界中から観光客が集まっている。元々狭い街だから密度が以上に高い。
それにしても、私の気のせいかアメリカ人の数が少なくなったような気がする。それともいつものアメリカ人の格好を控えてアメリカ人と見られないように装っているのか。戦争中だし、テロも恐い。
声が馬鹿でかいのは中国人。その前に声が大きかったのは韓国人。その昔は日本人だったのか。
中国人も、彼らなりに旅行支度の服装をしているが靴が黒い革靴なのが微笑ましい。そこまで気が回らないのか金が回らないのか。きっと前者だと思う。

お勧めの鐘楼に登りましたが風が爽やかでよろしゅうございました。
定番だが生カンツォーネ付きゴンドラも楽しかった。
イカスミのスパゲッティも結構おいしかった。
行けて良かった。

でも、頭の隅で、以前どこか似たような場所に行ったことがあったナー?と感じつつ、はっきり思い出せなかった。
帰宅して思い出した。
「なーんだ、ディズニーシーじゃん!」


4 イタリア ピサDate:1/21/2005-Fri-6:20:59-PM

ピサの斜塔で有名。
行く前は「ただの傾いた塔だろう」と馬鹿にしていた。
行ってみたら笑えた。
「こいつはイイやー」
隣に立派な大聖堂(ドゥオーモ)があり、斜塔はこれに附属する鐘楼。
建て始めて直ぐに地盤が沈下しだし、塔が傾きだした。
何とか真っ直ぐに戻そうとして上の方の階を逆に曲げて作り出した。無駄な努力をしたわけだがそれが妙におかしい。
この辺りは地盤が緩いらしく、大聖堂もその先の洗礼堂も何となく傾いているようで自分の平衡感覚までおかしくなったような気がする。
もっとも私は強度の近視と乱視なので分厚い眼鏡を掛けている。そのせいでいつも直線が曲線に見えているから元々おかしいのだが。


29 フィレンツェ Date:8/3/2005-Wed-6:29:33-PM 

イタリアへ行ったのは去年の今頃。

成田で飛行機に搭乗しようとしたら搭乗口にマスコミ関係者が溢れている。
アテネオリンピックに向かう日本選手団の出発だった。
卓球の福原愛ちゃんがいた。
かわゆい。
同じミラノ行きのアリタリアに乗った。
オリンピック選手もエコノミーの席だった。当然か。こんな事考えたこともなかったけど。
金メダルを取った選手は凱旋の帰国便はファーストクラスなのだろうか。

機内誌では「トスカーナの休日」を上映すると出ていた。が、故障で映画は全て映らない。
アリタリア、あるいはイタリアでは文句を言っても始まらない。
小さな故障が積み重なって大きな事故につながるのは航空業界の常識なのだけど、イタリアじゃあ仕方ないか。
飛行機本体の故障じゃないだけに諦めがつく。イタリア製の機械がヤワなのは常識でしょ。
トスカーナに向かう途中に「トスカーナの休日」が観られたらラッキーと思ったのに。
尚、帰りの機内では観られた。が、つまらない映画だった。

トスカーナ地方の中心都市フィレンツェ。

フィレンツェの観光定番はアルノ川対岸の丘の上のミケランジェロ広場から見渡す街の風景。茶色の屋根の石造りの建物が並びひときわ高くドゥオモのクーポラがそびえている。

うーん。これが花の都か。

街中は所狭しと石造りの建物が建っていて間の通路が狭く、観光客もあふれていて歩いていて息苦しい。
どことなく新宿の歌舞伎町のような感じがするのは私だけの感想か。

教会、洗礼堂、美術館、宮殿だらけ。
とりあえずはウフィッツィ美術館でボッティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」は観た。
ここでも四方の壁一面にこれでもかと張り出された名作に眼がクラクラして気が遠くなりそう。

何よりもギリシア神話、キリスト教やルネッサンスだののヨーロッパ文化に関する基礎的な知識がないため何がなんだか分からないが圧倒される思いで楽しめない。これならローマの方がお気楽だと思った。

さて、フィレンツェにはエノテーカ・ピンキオーリという超高級レストランがある。
勿論ツアーで寄れるようなレストランではない。
でも、このレストランの日本店が銀座にある。
いつか大事な日にこのレストランに行くことになっている。
いつになるのか。


31 ミラノ Date:9/16/2005-Fri-5:02:47-PM 


ミラノに寄ったのはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見てみようと思ったから。
数年前に修復されて予約制ではあるが見学できることになった。
こういうものは見ないともったいないというセコさが出る。

ミラノ市の中心から少しだけ離れたサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の旧食堂の壁に描かれている。
壁に直接描かれているので痛みやすく、室内の温度や湿度を一定に保ち、持ち込まれる埃を避けるために厳格な予約制の入場制限が為されている。

ガイドブックには、「ダ・ヴィンチが生涯で唯一残した壁画。「汝らの一人、我を売らん」と予言したキリストと動揺する十二使徒たちの一瞬の光景を左右対称の独特の構図で、遠近法を駆使して描いている。」とある。
見たが、「へー。こういうものか」「これがユダか」という程度の感想しかなかった。

ところが先日、本屋でふと「ダ・ヴィンチ・コード」ダン・ブラウン著が目に付き、帯の「キリスト教の根幹を揺るがし、ヨーロッパの歴史を塗り替えた巨大な謎の奔流ー世紀の大問題作!」に惹かれて買って帰った。

こういう本は読み出すと徹夜になるおそれがあるので注意して夏休みに読んだ。

この本の中に「最後の晩餐」が出てきて、「この最後の晩餐に描かれているのは12人の使徒ではない」と言う。
「エー、そんな馬鹿な」
いかにキリスト教の知識に欠けると自覚している私でさえ、この絵はキリスト様が12使徒との最後の晩餐の様子を描いたものだと聞いている。
しかし、「ダ・ヴィンチ・コード」では、キリストに向かって左隣は使徒ではなくマグダラのマリアである、使徒のように見せかけてマリアを書き込んだ、そして、マグダラののマリアは娼婦ではなく、キリストと結婚していた、この時マリアはキリストの子供をみごもっていた、という。

よーく見ると確かに左隣の青い服の人は女性にしか見えない。この後はよーく見なくとも女性にしか見えない。
「うーん」

この本を読んだら又パリやロンドンに行ってみたくなった。

未だ読んでいなかったらお勧めします。おもしろい本ですよ。


41 ローマのホテル Date:6/23/2006-Fri-7:56:52-PM

海外旅行は大概安い料金のパッケージ・ツアーだからホテルはB級になる。
新しくてこじんまりしているが街の中心から離れていたり、客室数の多いアメリカ型だったり。
時々、元は超一流ホテルだったが寄る年波に勝てずにB級ホテルに落ちぶれ我々アジア人の団体客用になり、生き恥をさらしている風情のホテルもある。

ローマで泊まったホテルはこの類で、テルミニ駅に近く「オペラ座に隣接し、オペラ歌手や作曲家たちが宿泊した、由緒あるホテル。客室はエレガントで落ち着いた雰囲気」との案内のあるホテル。今ではそのような人の姿は見えない。
確かに豪華で広いロビー。壁には特大の絵画。調度品もお宝に近い雰囲気。でも実に古い。

このホテルに、周囲が鉄格子のまるで鳥籠のようなエレベーターがあった。古いフランス映画で見たことはあるが実物は初めて見た。時々動いてはいるが、宿泊客は乗るなと書いたプレートが張ってある。
乗り物好きの私としては、こんなエレベーターに乗るチャンスはもう二度とないと思い、プレートを無視して乗り込んだ。動きはゆっくりしているが、雰囲気は良い。
自分たちだけ楽しんでは悪いと、ツアー仲間にも乗ることを勧めた。
「こんな機会はもうないよ。」
若いお嬢さん二人が乗り込んで上階に向かって昇りだしたものの1メートルくらい上がって止まってしまった。
原因は分からない。
止まっても、鳥籠だから周囲が見えるので緊迫感はまるでない。
「アーア、やっぱり古いから仕方がないか」
という程度。
直ぐにホテルの係員を呼んで動かして貰った。
係員も止まることには慣れているようで「だから乗るなと書いておいただろう」と言っているらしい。イタリア語だからよく分からないけど。

以前ベルギーのアントワープに行ったときにはオペラ劇場の楽屋のエレベーターに我々10数人が衣装等のバックを持ったまま乗り込んで途中で止まったことがある。この時は男ばかり満員だったので重すぎたのかも。
「このまま閉じこめられっぱなしじゃ参ったナー」「どうかトイレに行きたくなるまでに助けられますように」
この時もさほど焦りはしなかった。

海外のホテルのエレベーターの動きは日本のに比べるとに明らかに荒い。エレベーターに対する感覚が違うのかも知れない。
シンドラーのリフトじゃ、悪い洒落だ。


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