アメリカ

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1 ワシントンDC Date:10/3/2003-Fri-0:38:09-PM

アメリカ合衆国の首都、ワシントン特別行政区(DC)
ここにはホワイトハウス、リンカーン記念館、国会議事堂、JFK眠るアーリントン墓地等の観光名所があるが、私の目標はスミソニアン航空宇宙博物館。
その中でも見たい物はただ一つ。
日本の「三菱零式艦上戦闘機」、ゼロ戦。
これが見たくてワシントンまで来た。

太平洋戦争初期の世界最高の性能を誇った名戦闘機。子供の頃にプラモデルで作ったことがあったでしょう?
男の子なら一度は作った経験があると思っていたが、考えてみたら千葉高に来るくらいの連中はプラモデルなんて馬鹿にして作っていないのかもと思えてきた。

博物館の中の一室にドイツのメッサーシュミット、イギリスのスピットファイア、アメリカのムスタングと共に眠っている。空中につり下げられているので少し寝苦しそうだが。

ゼロ戦は約1万機造られ、現在残っているのは数機だけ。

ということは約1万人のパイロットがゼロ戦と共に散華したことになるのか。我々の親の世代の日本人が。感慨深い。

映画「パール・ハーバー」に出演したゼロ戦はこの機体ではなく、世界で1機だけ実際に空を飛べる機体。持ち主は撮影中に壊れてしまうのではないかと相当気をもんだらしい。3機編隊で出ているが他の2機は似てはいるがゼロ戦ではない。

ゼロ戦を見たので、こうなると陸軍の「隼」も見たい。が、これは残っていない。
というよりゼロ戦だけが残っているだけで、他は何もない。軍艦も。せっかく戦後残った戦艦長門もアメリカの原爆実験で沈められてしまった。

バカヤロー!

自分用の土産にスケールモデルを1機買ってきた。机の脇の本棚の上で飛んでいる。


7 ワシントンDC 2 国防総省ペンタゴンDate:11/1/2003-Sat-1:48:17-PM

不謹慎な記述で申し訳ありません。
ワシントンDC市内観光で国防総省ペンタゴンを見に行った。
といっても9・11の同時多発テロ以降は一般公開されていないので車窓から。建物には近づけない。

テロでハイジャックされた飛行機がペンタゴンに突っ込んだ。約180名の方の命が奪われた。この跡は綺麗に修復されているが、塗装が僅かに元の建物部分と違い、修復箇所がおおよそ分かる。

ペンタゴンはポトマック河畔に建っているが、川と反対の西側はなだらかな丘になっていて、丘の上に大きなホテルがそびえている。

ハイジャッカーはこのホテルを目印にしたようで、この上を通過し高度を下げてペンタゴンに突っ込んだ。現地で見るとハイジャッカーの操縦の腕の良さがよく分かる。

セスナの操縦でも離陸は難しくない。しかし、着陸は素人では絶対に無理だ。距離感や高度感が難しい。

私が初めて大型の旅客機を途中から操縦したとしてもワールド・トレード・センター・ビルであれば突入は可能だと思うが、ペンタゴンは絶対に無理だろう。

ペンタゴンは高々4,5階の建物で、これに下降しながら命中させるのは並の技術ではないと思う。
これより高度を下げれば途中で落ちてしまうし、下げ足らないと目標の建物の上空を通過してポトマック川に落ちてしまう。


8 ニューヨーク 4 グローバル・スタンダード Date:11/3/2003-Mon-9:23:28-PM

大雑把な話ですが。

ニューヨークを歩いていると実に様々な人がいる。街で必要な言葉は、「ハーイ」「イェー」「オー」「ノー」に「ワンダフル」くらいしかないように思える。

「なーる程、これでグローバル・スタンダードができたのかも知れない」と思った。
アメリカは、建国200年余程度の若い国で、移民から成り立っている。

その移民は最初はイギリス、アイルランド。次いでヨーロッパのドイツ、イタリア。更には東欧。その他、中国、日本、韓国のアジア。そしてメキシコ、プエルトリコ等中南米。忘れてならないのはアフリカ系の人々。これは移民とは言わないが。

ほとんどが食べるために来た人々。

各集団、各人が、各国、各人種の言語、文化、習慣を次々と持ち込んだ。これじゃ統一した文化なんて容易に形成されるわけがない。
一つの国として必要とされる諸要素、基準がいずれも最低のもの、最簡潔のものとしかならない。

言葉も敬語だの謙譲語だのが通用するわけがない。「侘び」「寂び」なんか考えられない。

だから単純なスポーツがもてはやされ、松井はヒーローになれる。最も分かりやすい価値は金、ドル。そして武力。

200年余かけてアメリカ国内で作られた結果を世界に当てはめようとしているのがグローバル・スタンダードなのではないでしょうか。


14 ニューヨーク 5 ブロードウェイ Date:5/19/2004-Wed-3:04:42-PM

せっかくニューヨークに来たのだから話の種にミュージカルでも観ていこうと思った。

何せ今までに観たミュージカルは6年程前に娘さんを連れて青山まで出かけた「アニー」だけだから情けない。この時出ていた杉本彩は今では「花と蛇」。時が経つのは早いものだ。

何を観ようかとガイドブックを開いた。
「CATS」を観たいと思ったのだが、もうブロードウェイではやっていない。今や世界中では日本の片田舎で劇団四季が公演をしているだけらしい。

そうならばニューヨークだけでしか観られないものにしよう、日本で劇団四季に直ぐ上演されちゃうのもしゃくだからと思い、劇団四季では絶対無理そうなものを選ぼうと考えた。

ガイドブックには「英語力必要度」の欄があり、3つ星が満点の最必要となり「ラ・マンチャの男」等がある。一番必要性が低いのは1つ星だがあまり数はなく、観たいものもない。2つ星でも自信は全くないが仕方ない。

英語が理解できないと時差ボケも手伝って日本人はいびきをかいて爆睡し、ひんしゅくを買う。これだけは避けたい。

そんなこんなで「フォーティセカンド・ストリート」にした。
「歌と踊り度」3つ星、「セット度」3つ星、「衣装度」3つ星、「英語力必要度」だけ2つ星。
50人を超える出演者が地鳴りするようなタップダンスを踊るというのが売りで、1980年に初演され3486回のロングランを記録したミュージカルのリバイバルだそうだ。
タップダンスなら英語が分からなくとも大丈夫だし、ストーリーは田舎出身の新人女優の出世物語のようだから何とかなるでしょう。
題名も訳せば「42丁目通り」で、ブロードウェイにある劇場前の通りのことで、要するにブロードウェイ物語と言うようなことか。
というわけで出かけた。

今では夜のブロードウェイでも安全で、普通に歩いていけるし、終演後も散歩がてらホテルまで歩いて帰って来られる。
ロバート・デニーロの「タクシードライバー」の頃とは違う。

ミュージカルは評判どおりタップダンスが素晴らしかった。主役も遠目ではあるが小柄ですごく可愛い。
回りのアメリカ人の観客は、何奴もこいつもお上りさんの観光客ばかりだったけど取り敢えずは外人ばかりだから本場の劇場の雰囲気は満点だった。

でも、やっぱり劇中のセリフは全く聞き取れなかった。満足して帰った。

ところが、先日新聞を開いてビックリした。
来日公演が7月からオーチャードホール他で開かれる。
本場の連中が全員で来るとは思わなかった。劇団四季じゃなかった。その手があったか。これは予想外だった。

確かに最近じゃオペラもそうだし、去年なんかミュージカルの「ウエストサイド・ストーリー」のミラノ版なんてのまで来ていたもんな。
しかし、ウエストサイド・ストーリーのミラノ版ていったい何なの?意味ワカンネーヨ。

Non ho capito!

● 伊藤三平 ● Subject:RE:ブロードウェイ Date:5/22/2004-Sat-0:00:55-PM   

リュウさん、私は90年に本場でキャッツを観たことがあり、劇団四季好きの娘に羨ましがられています。
その時、昔の歌舞伎なども、このような新作で人々を興奮させたのだろうなと思いました。

今も昔同様に興奮させてくれるのが、日本が誇る猿之助のスーパー歌舞伎。 ご覧になっている皆様も多いと思います。その猿之助が今年は病気とのこと、心配です。
彼のスーパー歌舞伎は歴史に残ります。 「おまえは団菊を観たか」と同様に「猿之助を観たか」になると思います。 

90年は、ある財団の調査事業の書き手として行ったのですが、ボストンでオザワも聴きに行きました。が、オザワは海外に出てて残念。
 ちょうど東欧の民主化の時であり、スメタナ、ドボルザークなどの音楽家の作品を演奏してたのが印象に残っています。 クラッシック音楽とはいえ、時代を感じさせる企画でした。


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