旅行にまつわる話

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15 土産品 Date:11/19/2001-Mon-7:11:29-PM

私は、ハワイ土産のマカデミアナッツのチョコレートが好きだ。最近は馬鹿にされているが。

アジアではどこに行っても当地の名物、観光名所の形のチョコレートを土産品用に売っている。

中国は、天檀の形をした物とか、パンダとか。タイでは象、シンガポールはマーライオン。

日本ではあまりない。日本では、圧倒的に饅頭、最中等あんこ物が多いが、我が家の子供達はあんこ物を全く食べない。父親は赤福が好きで私も好きだ。子供達が手を出すのは、チョコレートやクッキー。家族への土産品を買うのを控えるようになった。

日本でも東京タワーチョコレート、東京タワークッキー。大阪城チョコレート、大阪城クッキー。時計台チョコレート、金色堂クッキー、富士山チョコレート、鯱ほこクッキー、坂本龍馬クッキー、西郷どんチョコレートなんか作ったら売れるにといつも地方の空港で思っているのですが。

金澤眞佐郎 Subject:名古屋の土産 Date:11/16/2001-Fri-8:28:49-AM
千葉市の企業立地説明会を11月15日に名古屋で開催しました.私のお仕事でありま
す.
運良く,直前の11日のクラス会で杉田賢一さんに会い,名古屋暮らしのことを伺い,ご
案内しましたが,ちゃんとご来場いただきました.ありがとうございました.
名古屋の行事は日帰りです.昨今,国内はまず日帰りでしょう.とは,肉体的にはかな
りきついものです.
名古屋の土産は,ばら売りの青柳ういろう,守口漬,赤福(お伊勢さんの土産と知って
ますが,好きなんだからいいでしょう)でした.名古屋のものはやはりユニークです.

伊藤三平 Subject:土産品の時代変化 Date:11/13/2001-Tue-11:12:49-AM

今はホワイトチョコレートとか六花亭のお菓子ですが、昔の北海道土産の定番と
してバター飴と並んでいたのは、クマの木彫りの置物でした。
私の家にもありましたし、どの家にもあったような気がします。鮭をくわえて
おり、中には大きなものもありました。

去年、千歳空港で探したらありましたよ。同行の若い人に、「これが昔の定番の
おみやげだ」と言うと驚いておりました。

時代は変化します。昭和49年の博多出張で明太子を買って帰ったら、母は「た
らこ」のように焼きました。明太子が全国区になったのも昭和50年代半ばから
でしょう。

昭和60年代のアメリカで、日本円にしたら1000〜700円程度の子供服を
たくさん買って帰ったら妻が安さに感激したのを覚えてます。今じゃ、日本でも
同じような価格になったからねぇ。

26 世界3大ガッカリ Date:3/7/2002-Thu-6:14:24-PM 

伊藤様 

タイの結婚式、お楽しみのようで、ようございました。
日本の冬に暑い国に出かけますと帰ってから身体がきついのですが、日本も急に春めいてきましたのでお障りなかろうと安堵いたしております。

さて、先日、3大大仏のお話をしましたが、奈良、鎌倉の次はお分かりでしたでしょうか?

答は、富山県高岡市の大仏だと言われています。

高岡は鋳物の街で大きな唐金の大仏があります。結構大きいのですが、奈良、鎌倉と比べるとやはり見劣りは致します。

この大仏は体内に入れます。

旅行先の観光スポットに行き、実際に目の当たりにしてなーんだ!なにこれ!ウッソー!と予想に反してガッカリする場所のうち、世界的な3つを世界3大ガッカリと言うそうです。

どこのなんだか分かります?

まず第1は、シンガポールのマーライオン。
これは入っても仕方ないね。石膏製みたいなつまらない物だから。

第2は、シドニーのオペラハウス。
シドニー湾の岸に建てられた白い貝殻の様な建物。

私は、これが入ることには異論がある。結構良いと思う。建築物としてもユニークだし、カッコウも良い。シドニー湾を見下ろす高層ホテルに泊まったことがあって、夕方部屋から夕陽に染まる湾とオペラハウスを1時間くらいウイスキー舐めながら見ていたことがあるけど、なかなかなものでした。

第3は、ブリュッセルの小便小僧。
これも仕方ないか。おもしろいけどね。背景に問題が在るんだろうな。
ベルギーの首都、ブリュッセル。古い街並みや中世の建物がたくさん残っているが、EU本部とかNATO総司令部とかいう近代の国際政治都市と調和している。

グラン・プラスという古い建物が並ぶ佳麗な広場があるが、そこをチョット曲がった横町の小さな四つ角に小便小僧が立っている。立っていると言っても台の上なので見ている人間の目の高さより上だけど。人の後から知らずに付いていって、これがあの有名な小便小僧だと言われるとビックリするか。

像高5,60センチ程度の物。小さい。大人の等身大くらいの大きさのブロンズ像が小便をしていてはグロテスクで話にはならないけど。

でも、私は、どれもそれ程ガッカリはしなかった。

今まで何がガッカリしたかというと鎌ヶ谷の大仏

そういう駅があることは知っていた。駅の踏切を車で渡った直後、左目の端っこに墓場が見え、その先になにか仏像みたいな物があるように感じた。行き過ぎてから「アッ!もしかして、あれが鎌ヶ谷の大仏か?」
「あんな小さいのが大仏か?」
あれほどビックリ、ガッカリしたことはない。

ところで、世界3大ガッカリは分かったとして、次にヨーロッパ3大ガッカリは何だ?

ブリュッセルの小便小僧は当然入るが、他の2つは?

尚、世界の3大美人の話で小野の小町が入るわけがないというような記述を致しましたが、秋田県関係の方に深くお詫び申し上げます。

伊藤三平 Subject:皆様の書き込みに刺激されての雑談 Date:3/7/2002-Thu-10:53:39-PM 
ガッカリ名所に、タイはアユタヤの日本人町もあるです。昔は必ず立ち寄った
が、何もないと評判が悪く、またお土産屋、スリなどが多く、今は、こうして
車の中からだけにしましたと、ガイドが言っていた。
大航海時代にこの地まで来た日本人がいたという感懐にふけるだけの所に、土産
ものを買えとつきまとわれたら、興ざめであろう。
(うちの息子は今年の市川学園中の入試で、山田長政を山田太郎と書いたとの
こと、まったく)

27 ヨーロッパ3大ガッカリ Date:3/9/2002-Sat-6:18:10-PM 

ヨーロッパ3大ガッカリは、

  1. ブリュッセルの小便小僧

  2. デンマーク、コペンハーゲンの人魚像

  3. ドイツ、ライン川のローレライ

だそうです。

2も3も見ていないので論評は控えますが、人魚像は良いんじゃないかなあ。よく壊されたりしているのでかわいそうな気がするし。ローレライは何がなんだか皆目分からない。

見たことある人、書き込んで教えて下さい。

阿部 静夫 Subject:ライン川下り Date:3/13/2002-Wed-7:23:21-PM 
零細企業の舵取りをしていると、なかなか会社を留守にできず、2・3日の
国内か近隣のアジアに旅行するのが限界。ということで、リュウさんの
書き込みはいつも興味深く、羨ましく、楽しみにしております。
古い話しで恐縮ですが、旅行の話題に参加できるのは、たぶん最初で最後と
思うのでお付き合い下さい。

20年以上前の、新婚旅行の話しです。この機会しか長期の休暇は取れない
との思いで、パリ−ドイツ−ベルギーへ10日間、ツアーではなく、しかも
駆け足という珍道中でした。

フランクフルトで一泊し、ゲーテの生家を見学、マインツまで電車で行き
ライン川を大聖堂で有名なケルンまでという一日でした。
貧乏暇なし旅行故、川下りは水中翼の高速船。デッキでのんびり川面を
眺める余裕もなく、名物のソーセージを頬張っているうちに、どんどん
行程を消化して目的地に向かって行きます。

さて、本題のローレライですが、ガイドもいない我々の船では案内図と
首っ引きで今か今かと窓の外を眺めておりました。でもご安心下さい、
それらしき岩場に、へたなローマ字で「ローレライ」と記してありました。
今もそのままかは不明ですが?
昔は伝説のような難所だったのでしょうが、川も整備された現代では
全く面影が残っていません。でも古城のある風景はたいへん素晴らしく
価値があります。

私も最近は歳のせいか、人の多い名所旧跡より、通りかかった何気ない
自然な風景に感動を覚えることがしばしばです。先月も仕事で君津から
御宿まで、房総の山を初めての道路で横断し、千葉も捨てたものでない
と再確認しました。

32 旅客機 Date:4/13/2002-Sat-9:11:01-PM 

飛行機が離陸するとき、昔はエンジンのパワーが足らなかったたので、誘導路から滑走路に入ると端でいったん停止し、ブレーキをかけ、エンジンを全開にしておき最大出力に達すると、突然ブレーキを解除して、飛び出して滑走を始めた。

客室内では、機体がブルブル震えだし、頭の上の荷物入れや天井がワナワナしだすと「イクゾー!イクゾー!」と緊張し、突然走り出すと体中にGがかかり、「イッター!!」と興奮し、暫くしてヨッコラショと離陸したものだった。

近頃は、誘導路から滑走路に入っても止まるわけでもなく、そのままスピードが出たなと思うとスーと離陸してしまうのでおもしろくもない。

着陸時も、昔は着陸の時の機体の振動が少ないと「今日の操縦士はうまい」とか、ドーンと衝撃があると「へただ」とか言っていたが、そんな話しも出なくなった。

まして着陸時に拍手がわくこともなくなった。つまらなくなった。

もう15,6年前の話しだが、気流が悪く機体が揺れだし、シートベルト着用のサインが出た。トイレに行った友人がなかなか帰ってこない。

ようやく帰ってきた友人が心配していた私達に「トイレで大きい方の用を済ませて手を洗っていたら、機体が揺れだし、「リターン・ユア・シート」のサインが点灯したので便座に座り直して待っていた。サインが消えたので出てきた」と説明した。

伊藤三平 Subject:シジュウカラ Date:4/15/2002-Mon-10:13:02-PM 
リュウさん、私も飛行機の「さあ飛ぶぞ」が無くなり、寂しく思っています。
滑走路の端でエンジンが全開していくと、こちらも肘掛けを掴む手に力が入って
いったものです。飛行機の性能のせいなんですね。私はパイロット教育が変化し
たからと思ってました。

私は学生時代にロンドン上空で乱気流に出会い、隣の席の外国人が十字を切った
のをまだ覚えています。無事着陸した時は、隣人とお互いに微笑みあったが、
今度、十字を切るような不安なことをされたら、対抗して合掌してお題目を唱え
よう。

へらブナ釣りを趣味としている櫻木君から、千葉の都川にも鮎らしい魚影が見え
るとのメールをいただきました。

土曜日、神田小川町の会社のバルコニーに見慣れない鳥をみつけました。
黒に白が目立つ鳥で、子供の図鑑でシジュウカラであることを知りました。

奥山さん、自然は考えているほどヤワではないのかもしれないね。
あるいは、普段は、如何に見たいものしか見ていないとも言えますね。聞きたい
ことしか聞いていないし。

34 ホテル Date:4/28/2002-Sun-4:51:54-PM 

年を取るにつれ、頭の回転が悪くなり、機転が利かなくなって旅先のホテルでまごまごすることが多くなった。

若い頃は何ともなかった部屋の鍵の開け閉め、電気の点け方、テレビの点け方、風呂の使い方、貸金庫の使い方等が分からなくなったり時間がかかるようになった。

半分ボケてる。

中国でテレビの点け方が分からず、同室者と二人でテレビの裏の配線まで点検したが点かず、どうせ中国製だから壊れているんだろうと諦めた。暫くして、コントローラではなく、テレビ本体のメインスイッチが入っていないことが分かった。

別のホテルでは裏の配線が本当にはずれていたこともあるが。

バスでお湯が出せなかったり、シャワーとの切替がうまくできなかったり、熱いお湯が突然シャワーから吹き出たり。

カード式の鍵は苦手だ。タイミングが合わない。

どうしてホテルによって方式が違うのだろう。ある程度統一出来ないのだろうか。


36 旅の注意 Date:5/9/2002-Thu-5:24:14-PM

日本に来た外人の観光客も、成田からホテルに向かうバスの中で、日本人ガイドから「日本は、治安は悪くないが、スリや置き引きが多いので貴重品に注意するように」

「水は悪くはないが、注意してなるべく生水は飲まないように。できればミネラルウォーターを飲むように」

「チップは原則としては不要だが、何か特別に頼んだときは100円程度のチップを上げるように」

「交通事故が多いので交差点では信号に従うように」

「車に轢かれたら、轢かれた方が悪い。場合によっては轢いた車が戻ってきて二度轢かれる」

「事故になっても絶対に謝ってはいけない」

「夜の街はヤクザがいて怖いし、エイズが蔓延しているので遊びに出ないように」

「パスポートが高値で売れるので取られないように」

とか注意されていると思う。


伊藤三平 Subject:チップの功罪 Date:5/10/2002-Fri-5:10:05-PM 
チップでは、皆様も、色々な思い、体験があるでしょう。
チップは、頭にくることが多いですが、海外では、給与を抑えられて、チップが
実質インセンティブ給与になっていることを考えると無理もないと思います。
サービス業の発展を促す面もあります。

アメリカのレストランのウェイターの中には、こちらが楽しくなるようなサービ
スをするのがいる。マニュアルだけではないと思う。チップに裏付けられたプロ
意識か。

シアトルのホテルで、可愛い女性のポーターが私のトランクを運んでくれた。
ねぎらったら「It's my job!」と明るく返された。チップたくさんあげちゃうよ。

パリの公園でボートに乗ったが、ボート番が船を押さえている。チップをもらわ
なくては出さないという魂胆。この野郎。

グァムで、ホテルのレストランに入ると、奥まった席に案内しようとする。
「ノー、オーシャン・ビュー、プリーズ」。やれやれチップを弾むか。

日本の金額の感覚で、同行の人がチップを払うと嫌になる。「あげ過ぎ」と言う
のもケチくさい感じがするし。こうして日本人相場が形成される。

日本でも私の親の世代では、女中さんや下足番などに心付けを渡すのが当然の文
化があって、わからないように上手に渡していたのを思い出す。

チップがない分、サービス料で10%取るという日本のホテル等の料金構造も
冷静に考えると「ちょっと待て」と言いたくなる。

お礼の気持ちで払ったり、もらったりするのは別だけど、もらって当然という
のは乞食根性を助長するような文化だ。

まあ、私はよくわからないし、上手に渡せないですよ。チップは。

48 旅の服装 Date:8/31/2002-Sat-6:17:40-PM 

旅の服装は普段着で良し。アジアであればどんな服装でも可。

旅先で衣料が汚れたら、洗濯せず、あるいは自宅まで持ち帰らずにそのままホテルに捨ててくることがある。

昔は、ゴミ箱に捨てないと忘れ物と間違えられて、よれよれだったパンツやシャツがきちんと洗濯されプレスがかけられ、忘れた頃に自宅に届いたという話しもあった。

ゴミ箱に捨てれば現地の人が拾って再利用してくれる。

私も、シューズ、ズボン、帽子等上から下までいろいろな物を捨ててきた。

ある長い旅の時、くたびれたポロシャツ、Tシャツ、パンツ、Gパン、靴下等タンスの中から古くなった物を洗いざらいトランクに詰めて出かけたことがある。行く先々で次から次へと捨ててきた。

だけど、毎日毎日よれよれの服装ばかり続いて気が滅入ってマイッタ。


50 ジャパニーズ?チャイニーズ? Date:9/20/2002-Fri-0:33:25-PM 

昔、海外に出かける人が今程多くなかった頃、旅先で「チャイニーズ?」と聞かれることが多かった。「ノー!」と答えると「ジャパニーズ?」と更に聞かれたりした。あるいは「チャイナ?ジャパン?」だったりした。

パリで「ベトナム?」と聞かれたこともあった。

「チャイニーズ?」と聞かれると、何かムキになって「ノー!ジャパニーズ!」と語気鋭くなったり、怒ったり、ガッカリしたものだった。

あれって何だったんだろう。自分の国が認められていない、知られていないことの感情的な反発みたいなものだったのか。言ってから自分が恥ずかしくなったこともある。別に怒るほどのものでもないし、相手は好意で聞いているのに。

近年はそこら中にアジア人が溢れていて、見かけではどれが日本人で、どれが中国人か、韓国人か全く分からなくなった。

そのせいか「チャイニーズ?ジャパニーズ?」と聞かれることも無くなったように思う。

ところが。

エジプトのピラミッドの入口で、前に並んでいた白人に現地の係員が「オーストラリア?」と聞いた。きっと持ち物にそれらしい表示があったのだと思う。それでなければオーストラリアなんて出てこない。

聞かれた白人が、語気鋭く、怒ったように「ノー!!オーストリア!!」と怒鳴り返していた。やっぱり欧米人も間違えられると感情を害するんだ。

それにしてもオーストリア人がオーストラリア人に間違えられたら怒るのは当たり前か。パプスブルグ家かその家来の末裔で芸術づけで誇り高い国民が、よりによってイギリスの植民地で流刑地の犯罪人か海賊の末裔のノー天気な国民に間違えられればそりゃー怒るはなー。

大笑いした。


68 2月の旅行 Date:2/11/2003-Tue-5:53:40-PM 

例年建国記念日の連休に海外に出かけることが多かった。しかし、去年はインドに行く予定がニューヨークのテロで中止になり、今年はグァムの予定が家庭の事情でドタキァン。ついていない。

それにしてもこの連休はやはり暖かい方面と言うより暑い方面に行きたくなる。今頃仲間はグァムのビーチかプールサイドで冷たいカクテルなんか飲んでいるのだろうと考えるだけで日本の寒さが身にしみる。

ただこの季節の南方は帰りが辛い。ビーチでは気温が30度位だったのが成田に帰るとみぞれが舞っている。開いた毛穴が閉まるいとまもない。たいがい夜行便で早朝に成田着だから震える。その日は朝から蒲団をかぶったまま耐える。

日本が真冬に南に行っても一日二日は暑さになれずに冬物の衣料で過ごせてしまう。ただそのままでいると汗が出ないのか身体に熱が溜まって日射病みたいな熱中症みたいになる。きっと毛穴が開かないからだと思っている。逆に寒い日本に帰っても一日二日は毛穴が閉まらずに寒くて仕方がない。この歳では2月に南洋はもう過激すぎるかも。

いつも不思議に思っているのだがアメリカ人は結構寒いところでもTシャツに半ズボンなんだけど寒くないんだろうか。鈍いのか。ベースボールキァップ、白い靴下にどでかいスニーカー、腰にウエストポーチ。もうヨボヨボのカップルでも腕を組んで歩いている。どこに行っても。


72 成田空港 Date:2/20/2003-Thu-5:31:52-PM

取引先が成田空港施設内にあるので時々営業に出かけることがある。今でもこの空港は過激派対策のために検問を実施しているが、予め連絡しておくので直ぐに通してくれる。

昔、空港に遊びに行って検問で嘘をついたら暫く留め置かれたことがある。それ以来検問恐怖症になった。今でも通るときにドキドキする。海外に出かけるときにも。

用が済むと空港第1ターミナルに向かい、5階のフードコートに行く。この第1ターミナルは4階の出発ロビーまではエスカレーターで上れるが5階には乗り換えて別にエレベーターを使うしかない。

空港を作るとき、地元の賛成を得るために地元の企業に施設内に店舗を開くことを認めると言っていたが、完成して与えられたスペースは誰も来ない、と言うより誰も知らない5階だった。商売にならないから地元企業は撤退した。いかに政府が人を騙して作ったかが明らかな証拠だった。

人が少ないので今では穴場になっていて値段も安いので東南アジアの航空会社のクルーも食事に来ている。私が行くのは食事が目的ではなく、ここから離着陸する飛行機がよく見えるからである。安いコーヒーを1杯飲みながらボーとして飛行機を見ているのが楽しみで、このためにわざわざ取引先に出向く。

屋上の展望台に出てみることもある。夕方、南の九十九里海岸の方角の空に前照灯を点け着陸しようとしている飛行機が何機も並んでいるのが見え、次から次から降りてくる。あるいは目の前で重いジャンボがお尻を擦りそうにしながらヨッコラショと上がっていく。見ているのは飛行機オタクくらいである。新しい第2ターミナルではこの楽しみがない。

元々成田はジャンボばかりで飛ぶ機種が少ない。最近の機体はボーイングもエアバスも似たような形ばかりでおもしろくない。昔の羽田は大はB747ジャンボから小はYS11まで、間にトライスター、DC10、DC9等様々で見ていて楽しく飽きなかった。

ところで、高速東関道で成田近辺を走っているときに丁度飛行機が上ったり降りたりすると運転どころではなくなり、身を乗り出すように空を見上げてしまうので、自分でも危ないと思っている。


●73 成田空港 2 Date:2/22/2003-Sat-3:04:15-PM 

もう10年も前になる。成田空港施設内の取引先に向かう途中の高速東関道で覆面パトカーを追い抜いて捕まったことがある。

空港に向かい表だっては言えない制限速度を遙かに超える速度で走っていたら、前方に、リアウィンドーに黒いフィルムを張り、トランクに自動車電話のアンテナを立てて、タイヤも一回り太いものを履いている黒いBMW5シリーズが追い越し車線を走っていた。追いつき後ろに付けるとスッと除けて走行車線に移動し、車線を譲ってくれるようだった。

「見かけに反してなかなかマナーの良い車だ」と思って追い越したら、又スッと追い越し車線に戻って来る。「アーやっぱり車線を譲ってくたのか」と感謝した。

それから意識は前の方に向かい、前方注視してそのまま走っていたところ、突然サイレンの音が鳴り響き、バックミラーが火でも噴いたかと思う赤い光がついたり消えたりしだした。バックミラーをよく見ると後ろのBMWの車体の屋根で赤色灯が派手にグルグル回っていて、それだけでなくフロントのBMWのシンボルマークのカボチャの両脇に仕込まれていた赤色灯まで点滅している。

とっさに考えたことは「何かテレビの撮影でもやっているのだろう。俺には関係ない」そう願いつつ車線をそーっと左に移り、BMWが通り過ぎるのを期待した。しかしそのBMWも左に付いてくる。そのうち「運転手さん。左の路肩に停車して下さい」という声がスピーカーから聞こえだし、「あーあーやっぱり」と観念した。

パトカーの後部座席に閉じこめられても、「良い車ですネー」と情けないヨイショまでしてしまった。

でも、この時は空港施設内の取引先の名前と用事をダメモトで話したら、イヤーな顔をされたが許して貰えた。ラッキー。今はそんなに飛ばしてはいない。


82 携帯用洗尻機 Date:4/7/2003-Mon-6:47:25-PM 

普段、家庭でウォシュレットを使っていると外で用を足すのが辛い。お尻もなまけて弱くなってしまっている。外国ではウォシュレットのトイレなんか見たことがない。

携帯用洗尻機とでも呼ぼうという便利なものが旅行用品として売っている。モーターが付いていてスイッチを入れると水が出てくるのと、水鉄砲のように自分でいちいち押して水をチュッチュッ出すのがある。こっちは水の勢いが弱く今ひとつ。

最初友人が持ってきたときは「何考えてんだ」と馬鹿にしたが、いつしか私も必携品となってしまった。

ニューヨーク・テロ以降荷物検査がうるさくなったが、知人が最近これでアメリカの空港でチェックを受けた。何か怪しい物があるとトランクを開けてそれを見せるように求められ、見せても納得されず、使う真似をして大笑いされたとか。


● 87 合唱 Date:5/11/2003-Sun-9:40:20-PM

旅の話なのに何故合唱かと訝しくお思いの方も多いことでしょう。皆さんの中にはジャズを歌ったり、イタリアオペラを歌ったりされる方がいらっしゃるとのこと。

私も多少は歌いまして、合唱のサークルにも入っています。定期の発表会やコンサートもありますが不定期なものも時折あります。

10年くらい前に、若手が大きいことを考え出しました。日本武道館で出演者1,000人の大コンサートを開くという話です。最近では年末に大人数の第9の合唱会がありますが、当時は1,000人規模はなかったと思います。日本テレビの後援を受けて実施されました。

共演者にはジャズピアニスト佐藤允彦氏や和太鼓奏者林英哲氏等がいました。チケットが完売されたとは聞いていましたが、どうせコネで無理矢理売りつけたので観客はそうは来るまいと思っていました。しかし武道館満員の1万人の観客が集まり、こちらがビックリしました。

これが評判になり、コンサートの様子がビデオやCDになりアメリカの何かの賞を取ったとかで、次ぎにヨーロッパでコンサートを開かないかと持ちかけられました。
ヨーロッパ連合EUでは、毎年各都市回り持ちの文化首都を定め、芸術的な催し物を1年を通じて開くことをEU内の結束を図るために行っているようです。その催し物の1つとして日本祭りとも云うべき「第2回 EU JAPAN FEST」という企画に乗ったのです。

その年はポルトガルのリスボンが文化首都でした。この時は1,000人という訳にはいきませんでしたが200人がはるばる出かけて行きました。会に多少の援助はあったようですが団員は自腹で衣装や小道具をエッチラ、オッチラ運び込みました。

1つの飛行機だと落ちたときに全滅になるからと3つの航空会社の飛行機に分乗までして。結構受けました。チケット完売、当日の立ち見まで出て2,500人近く入るホールが超満員でした。

日本の天正遣欧少年使節団の遺骨の残るリスボンの古い教会でグレゴリア聖歌隊とジョイント・コンサートまで開いたりしました。あちらでは団体旅行というものは少なくて200人が一度に泊まったり、食事をする場所が街中にはないらしく、郊外になったり、食事も一度に200人分の料理を出すのに慣れていなくて随分時間がかかったりしていました。バスも同じ形のバスを5,6台揃えるのも大変だったようです。

町中でも東洋の果てのジャポンからはるばる来たのかと歓迎されました。

更に、これが評判になり、2年後にアメリカに行かないかという話に繋がってしまいました。もうイイやと言う人が大部分でしたが、それでも30人位が集まり又エッチラ・オッチラ出かけました。日本の財団法人国際親善協会が主催して毎年アメリカの州を回り持ちで日本週間とも云うべき「JAPAN WEEK」を開いており、その年は第6回で、マサチューセッツ州で開かれました。その州都ボストンに出かけたのです。

古くは秋吉敏子、渡辺貞夫が留学したことで有名なバークリー音楽大学のパフォーマンス・センターといういわば講堂でコンサートは開かれました。事前の宣伝が行き届かなかったのか、桂枝雀の英語落語に負けたのか、200人以上は入ろうかという会場に観客が4人しかいなくて悲惨なものでした。といっても歌っている当方は歌うだけで楽しいし、うまくいけば乗っているから良いのですが、聞いている方は30対4ですからもろに声の集中攻撃を受け、我々出演者から睨み付けられているようなもので途中退席も出来ず、身動きもせずに聞いているのが気の毒なくらいでした。

私は、どちらも海外旅行に出かける大義名分が立つので参加しただけです。こんな気運というのは10年に一度くらいは盛り上がるようで、この前は今から20年前くらいでした。この時は私は参加していません。盛り上がる時はよいのですが結構負担も大変なので直ぐに下火になります。しかし、あれからもう10年も経ちましたので再び気運が来ないかと楽しみにしています。


●88 機内にて Date:5/14/2003-Wed-6:11:11-PM 

シートピッチ

座席と座席の間隔。横ではなく縦、つまり前後の座席の間隔。最初に飛行機に乗った30年も前はやたらと狭く、足下に落ちた物を拾うにも苦労した。その後、改善され、国際便はかなり余裕が生まれた。

ここ4,5年、再び狭くなったような気がしている。いちいち測定はしていないが、どうもおかしい。きっと、ビジネスクラスやCクラスというものが増えてきたので我々エコノミークラスが犠牲になっているのではなかろうか。

機内食

これは明らかに質が落ちている。きっと料金が抑えられているので経費削減の影響だろう。仲間に「そんなまずい物食べるなよ」なんて言われたり、成田ですませてから乗る人まで出てきた。私は普段から粗食だし、ケチだから相変わらず食べている。

特に目的地に着く前に出る2回目の食事はひどい。パンとジュースだけなんてこともある。

昔は、家ではステーキ、ローストビーフ、スモークサーモンなんか普段食べたことなかった。だから機内食でロースロビーフが出たときはいったいこれは何だろうを思った。

JALの帰国便ではよく蕎麦が出ているが若い頃は「何でこんな伸びきった蕎麦を食べなきゃならないのか」と思っていたが歳を取るにつれ、日本の味が恋しいようになり、この蕎麦が楽しみになってしまった。仕方ないか。

アメリカの国内線で、飛行機に渡るボーディング・ブリッジの前に机があり、紙包みが山なりに置いてあった。「何かナー」とう思ったがそのまま機内に入ってしまい、後からランチボックス、弁当で自分で取って機内に持ち込むことに気づいた。「失敗しター」と思ったが後の祭り。

暫く悔やんでイジイジしていた。ランチボックス1つでいじけている自分が我ながら情けなかった。

飛行機が離陸してからスチュワーデスが配りだしたときは「救われター」と心から喜んだと同時に「脅かすなよ」と言いたかった。

ドリンク

お酒は昔料金を取られたが、20年くらい前から無料になった。航空会社あるいは路線により有料だったり、無料だったりした頃、ある時アラブ人と見られる客がビールを注文し、スチュワーデスがプルトップを開けてから有料と気付き「有料ならいらない」とそのまま返したことがあった。スチュワーデスも平然とビールを引き上げた。見ていてもったいないと思った。日本人なら有料と気付いても仕方ないかと金を払って飲んだのではないだろうか。

私は、無料になってからは意地汚いから最初にビールを2本貰ったり、ワインをお代わりしてしまう。今でも時々国内線で缶ビールが有料で出るが、高いが我慢できずについつい買って飲んでしまう。


89 日本旅館 Date:5/23/2003-Fri-6:22:02-PM 

日本旅館の宴会付き温泉旅行が多い。
それはそれで結構楽しめるが、その後、それ程親しくない人と大勢で寝ることが苦痛になった。
宴会は盛大にめいっぱい騒ぎ、寝るのはホテルでシングルが良い。

先週の金曜日は愛知県の蒲郡温泉だった。
部屋は5人くらいが定員の部屋で、その内2人分のツインのベットルームが付いている。
4人が泊まることになった。

部屋割りが済んで同室者と話してみたら、私以外の3人が揃っていびきをかくことが分かった。
「イヤー、女房に嫌われて」とか「子供も一緒の部屋では嫌がって逃げる」とか。
オイオイ、これじゃー俺はライオンの檻に投げ込まれたバンビじゃないか。冗談じゃない。
わがままが言える立場だったので「ベッドルームは俺一人で使う。お前達は仲良く日本間で寝ろ」と早々と襖を閉め切り立てこもってしまった。

襖に目張りをすればまるで自殺の準備だ。夜中に「リュウさん。他の部屋で溢れて寝る場所がない人がいるんで、ベッドが一つ空いているんだから寝かせて下さい」と頼まれたが「ダメ。そっちで一緒に寝ろ」と取り合わず。

翌朝聞いてみたら、いびきをかく人は自分が目覚めた時に他の人がいびきをかいていても自分もかくから気にならず直ぐに再び寝られるらしい。いびきをかかないこっちは気になるし、被害意識が過剰になりイジイジしたり腹が立ったりするから二度と眠れなくなる。

昔、数十畳敷きの大部屋で寝ていて余りにいびきの酷い人を4,5人で蒲団ごと数メートル先の台所に運んで捨ててきたことがあった。それでもその人は目が覚めずいびきをかいたまま寝ていた。

こっちは静かになったと思ったら、目が覚めてしまった一人が「アー、ダメだ、眠れない」「もーダメだ」とうるさく、「お前の方がよっぽどうるさい」と叱ったが、やっぱり全員が目が覚めてしまい二度と眠れなかったことがあった。


●97 露天風呂 Date:7/22/2003-Tue-6:47:42-PM 

今まで何カ所の温泉に入ったか記憶を呼び覚まして数えてみた。
大体60くらい。記憶が無くなっているところもあるとは思う。

両親が福島出身なので湯治が身近なものであった。福島は温泉が多く、農家は夏の農閑期に身体休めに湯治に出かける習慣がある。
子供の頃から夏休みは湯治に那須湯本の湯治宿に通っていた。高1までは行っていたが、さすがにその年になると行く気がなくなった。その後大学を出てからも何度か通っていた。

今は温泉ブームのようである。
温泉旅館やホテルも露天風呂がないところは客が来ない。更に、近頃は温泉の質にもこだわり「掛け流し」なんて言葉が使われている。沸かし湯はレジオネラ菌が怖いと言われる。

この対策で塩素を大量に入れる。そんなお湯にはいると塩素が強く、肌が溶けてしまってかえってツルツルになるとか。「ウーンいいお湯だ」なんて言ってる場合ではなく、飲んだりすると命が危ない。

例のふるさと創生基金の1億円で日本中ににわか温泉が沢山出来た。これがほとんど危ない温泉らしい。

近所の本屋の雑誌コーナーでオヤジ雑誌を立ち読みしていた。「オブラ」、「一個人」、「自遊人」、「サライ」等。
ペラペラ見ていたら「個室露天風呂の宿」の特集が出ていた。個室露天風呂かー。部屋から直ぐ庭先の露天風呂に入れるなんて便利だ。静かで勝手に入れる。いつ入ってもいいし、何回入ってもいい。酒飲みながらでも入れる。しばらくはただ単純にそう思っていた。

アッと気が付いた。何だ!これ不倫の二人用か?そうだよ。きっとそうだ。

宿泊料は一人4,5万円はする。高いから家族連れでや、若い人が行くわけがない。まずはお金がかかる。
長年連れ添った女房と行くか?二人で露天風呂に入りたいか?お互いに今更入りたくないだろう?とすると金を持っていて、家族ではない関係っといったら不倫しかない。

気が付いた途端に妄想が沸き上がりました。いいなー、誰かいないかなー、と。その後腹が立ちました。今時こんなことでよいのか!

露天風呂といっても泉質、全体の広さ、風呂桶の広さ、造り、周りの景色、忘れてならないのはお湯から上がってしばし休む場所の広さ等の要素が沢山ある。

私の入った露天風呂でよろしかったのは島根玉造温泉の「長楽園」の120坪の露天風呂。日本一広いと聞いていたが確かに広い。広いとお湯の温度にむらがありそうだと思ったがそんなことはなく、どこにいても一定の熱さでした。お湯の量が豊富だということでしょう。結構なお湯でした。

ここは混浴で夜になるとカップルが仲良く入っている。お湯が胸の下くらいまでの深さがあり、女性のは入口が男性側から見えないようになっているのでお湯に入ってからそろりそろりと動くと一緒になれる仕組みになっている。まあ私には関係ないけど。

次は、鴨川の「鴨川館」の露天風呂。これはまるで海岸の松林の中の露天風呂。こんなに広々とした松林の庭園みたいな露天風呂は初めて入った。端の岩風呂は見た感じがまるで池みたいで入るのをためらう。池に裸で入るのは馬鹿でしょう。

鴨川に温泉なんてあるのか?とお思いの方も多いでしょう。温泉法が変わって、以前は源泉の温度が低くて鉱泉と呼ばれていたものも今では温泉と称して良くなったらしい。

そりゃあ、地球の中心に向けて何千メートルもボーリングすれば湧き出すはず。それで鴨川は今や温泉街となりつつある。

でも本当に気に入っている露天風呂は我が家の風呂場。本物の露天風呂ではないけど、家の裏に出るドアが付いているので、これを開け放すとまるで露天風呂のような感じになる。雨の降っている日が特によろしい。

隣家の裏窓からこちらは見える。いつも閉まっている。仮に見えても向こうが不愉快になるだけだろうから気にしない。ここに雑誌を持ち込み長風呂をする。最高。

ハワイ、京都更に露天風呂とくればまるで月刊誌の特集記事のようになってきた。これにグルメが加わればネタに困ったときの四天王だ。ここまでくると終わりは近い。


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