太平洋

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1 ハワイにて 1 Date:6/23/2001-Sat-9:52:27-PM 

パールハーバーには、日本人観光客はあまり行かない。重いから。

勇気を起こして出かけた日本人は、気後れして各国語の案内パンフレットのうちから日本語ではなく、中国語や韓国語のパンフレットを取って日本人ではない振りをする。

戦艦アリゾナが1100名を超す遺体と共に沈んだままになっている。

船体から重油が50数年経った今でも少しづつ漏れて海面に浮かんでいる。時々補充しているのではないかと疑っている人もいる。

えひめ丸の船体引き上げを強く求める日本人に違和感を感じるアメリカ人も多いとか。

2,3年前に、アリゾナの近くに戦艦ミズーリを引っ張ってきて記念艦として公開し、太平洋戦争の始めと終わりを並べて観光施設としている。アメリカの意図は何だ。

セスナを体験操縦してパールハーバーの上空を飛んだ。感慨深かった。

友人がワイキキの映画館で「パールハーバー」を観た。恋愛映画だそうだ。戦闘シーンは楽しめるとのこと。


5 グァム・サイパン Date:7/27/2001-Fri-6:38:47-PM 

暑いときに暑い所の話。

グァムとハワイを比べるとグァムの良いところは日本から3時間で行け、時差がないことだけ。つまらない島だと思う。

ただゴルファーにはとっては、日本の寒いときにゴルフができるのでその時期は天国かも。

軍事基地と観光だけの小さな島。

横井さんが何十年も隠れていることができたのが不思議だったが、行ってみたら理由が分かった。ごつごつした岩だらけの土地で農業も林業もない。誰も山には行かないし、そもそも人が少ないから発見どころか気にもされなかったのだろう。

横井さんの隠れていた穴が観光スポットになっているが、ただの山の穴で、金を払ってツァーに参加した人は損をした気になる。

サイパンの観光キァラクターの「サイパンダ」って知っています?雑誌のサイパンの観光案内等に出ていることがあるけど。見るとビックリするよ。あまりのくだらなさに。分かった途端に一瞬気絶しそうになると思う。

サイパンに出かける人にサイパンダの話をしたら、現地で一生懸命捜したがどこにもなかったと言っていた。あるわけがないと思う。あくまで日本向けの観光キァラクターだから。

なんだ?少し考えて下さい。


伊藤三平 Subject:グァム−バブル時代の思い出− Date:7/30/2001-Mon-9:00:15-AM
バブルの時に、グァムの大規模リゾートの開発計画(ゴルフ場、ホテル、コンド
ミニアム、ショッピングセンター)の仕事をお手伝いしたことがあります。
土地は動きましたが、バブル崩壊で事業には着手する前で頓挫しております。

グァムの印象は、匿名氏の言う通りです。適切な表現ではないかもしれませんが、
世界のリゾートではなく、アジアのリゾートという格でしょう。
金曜の夜に出発して土、日に海岸、海上、あるいは海中でのんびりするという利
用方法があります。

我々が立ち入れない米軍基地の中に、実は良いところがあるという噂も聞きま
した。
ゴルフは暑いから早朝です。

7 ハワイ 2 Date:8/24/2001-Fri-6:10:51-PM 

バイキング

ハワイの日本人観光客向けのホテル内の日本語テレビ番組で「渡るハワイに鬼はなし」と言う番組がある。日本人観光客が誤りやすいマナーや言葉を注意する番組で結構笑える。

主役は夫婦でいい男でもいい女でもなく、得体の知れないカップルであり、何年も何度も繰り返し流れているので筋は分かっていてもおもしろい。

バイキング編

夫婦でお腹が減ったのでホテルでバイキングを食べようとホテルのマネージャーに「I want バイキング」と話すと、マネージャーは分からないという対応をする。それでもしつこく「バイキング」「バイキング」、「No No」とやり合う内にマネージャーはたと気が付き「Come on」と二人を外に連れだし、どこかに連れていく。着いたところは「バーガーキング」
二人は「ノーノー バイキング バイキング」と繰り返す。

最後に角の着いたかぶとをかぶって、毛皮を着たバイキングの男が出てきて「チャンチャン」

メインランド(ハワイから見たアメリカ本土)でどう言うかは分からないが、ハワイでは「ビュッフェ(buffet)」でフランス語から来ている。但し発音は「バフェ」と言う感じか。

ワイキキに「ペリーズ スモーギー」という安いビュッフェレストランがあるが、この名前はスモーガスボードから来ているらしい。朝食5ドル25セント、昼食6ドル25セント、夕食9ドル25セントの食べ放題。味はともかく種類と量はすごい。いつも長蛇の列。

ホテルの朝食が20とか25ドルだったり、日本で1500円とか2000円とかだったりするのは高過ぎるのではないか。

伊藤 三平   Subject:バイキング料理 Date:8/22/2001-Wed-10:13:44-PM 
和製英語のバイキング料理の元は、帝国ホテルだったんですね。
今日(01/8/22)の日経新聞「私の履歴書」で帝国ホテルの
元総料理長の村上信夫氏が昭和33年の第2新館オープン時点で
導入したと書かれています。

改めて広辞苑をひいたらスウェーデン語のスモーガスボードが原型
とありました。

アメリカのホテルではカフェテリアだったと思いますが、他に言い方が
あるのでしょうか?

バイキングと言えば、私は食べてしまうんですよ。自分で自分の品性に
嫌悪感を感じるから、なるべく行かないようにしています。

また最近は、若い時と違って「さあ、食うぞ」という気合いも入らない。

会社の学生アルバイトの歓迎昼食会に、グランドパレスのバイキング
を使うことが多いのですが(1800円と安い)、我々と違って食べな
いですね。
学生が食べないから、こっちがまた食べてしまう。そして反省。

13 ハワイ 3 Date:11/10/2001-Sat-4:39:09-PM 

虹 レインボウ

ハワイ州の別名はRainbow State。毎日のようにどこかで虹が出ている。州の自動車のナンバープレートも虹がデザインされている。

ほぼまん丸い大きな虹を見たことがある。ダブルレインボウも。

ハワイの島々には年中北東の貿易風が吹いていて、太平洋の湿気を帯びた風が島の真ん中の山脈にぶつかり、そこで多くの雨を降らせる。雨を降らせ終わった後は乾燥した風になり、島の南側に吹いてくる。

だから、毎日のように雨が降り虹が出ていても、島の南側は太平洋の真ん中なのに乾燥していて暮らしやすいし、リゾートとしても最高の気候条件になっている。こんな島は他にない。

これに慣れると、他のリゾートが暑苦しくてかなわなくなる。

昔学校で、日本の冬は北西の湿った季節風が吹き、中央の山脈にぶつかり新潟地方に大雪を降らせ、降らせ終わった風が関東地方にカラッカゼとなって流れ込み乾燥した季節となると教わった。

これと同じ。

テロの影響でハワイも泣いているとか。寂しいですね。

伊藤三平 Subject:ダブルレインボウ Date:11/7/2001-Wed-9:43:04-AM 
昨日は、群馬県に出張していたのですが、そこでダブルレインボウを見ました。
向こうは朝から雨はあがっていましたが、3時半くらいに、くっきりしたきれい
な虹の外側に、少しぼんやりとした虹が架かっていました。

会議室の窓から見ましたが、会議のメンバーが「ダブルレインボウを見ると幸運
になるということわざがあります」と言ったが、私も含めて、皆、おじさんだか
らそれほどの感激は巻き起こらない。

今日、ヤフーで「ダブルレインボウ」を検索したら、「幸運を呼ぶダブルレイン
ボウ」という言い伝えはあるようで、それを見たという写真がうれしそうに出てま
した。もっともハワイでは珍しくもないようですが。

今日、朝4時頃に一度目を覚まし、その後2度寝した時に変な夢を見ました。
これと併せて吉兆と思っています。さあ、お仕事、お仕事。

今日の昼はおでん定食でも食べるか。一軒、おいしそうな店をこの界隈で見つ
けた。

(注)以上のように書き込みをして、会社の者に、この話をしたら、「そも
   そも虹は2重に見えるものです」とか言われて、その原理はこのページ
   にありますと紹介されました。
   理科系の男は夢がない。

   http://www.an.shimadzu.co.jp/support/science/010912/010912a.htm


39 ハワイ 4 Date:6/19/2002-Wed-4:46:20-PM

今、ハワイから帰りました。今回は、ハワイ島に足を伸ばしてみました。

一言でハワイと言いますが、ハワイ州を指す場合とハワイ島を指す場合があります。
ハワイ州は、オアフ島、マウイ島、ハワイ島その他の全部で8つの島からなり、州都はオアフ島のホノルルです。観光客の多いのもホノルルでワイキキが観光の中心となっています。

いつもはホノルルばかりだったので今回はハワイ島に行ってみました。

ハワイ島は、ハワイ諸島の一番南にあり、面積も一番大きくビッグ・アイランドと呼ばれています。活火山のキラウエア火山は今も溶岩を流し続けています。

四国の6割程度の面積がありますが、標高4.000メートルを超えるマウナ・ロアとマウナ・ケアの山があり、マウナ・ケアは標高4.206メートルです。

この山には冬の2月頃には雪が積もり、朝、山でスキーを楽しみ、昼、ビーチで海水浴が楽しめるそうです。

マウナ・ケアの山頂で夕陽が沈むのを見て、その後星空を鑑賞するオプショナル・ツアーに参加しましたが、午後3時まで気温30度位のビーチに裸でいて、午後6時には気温4度の山頂にダウンジャケットを着ているという日本では考えられない経験をしました。

マウナ・ケアの山頂には日本のスバル天文台を含め11カ国13台の天文台があります。高度があり、天候が安定していて、空気が澄んでいるからでしょう。

確か千葉高3Iの佐々木敏由紀さんが在駐していたはずですが、今もいらっしゃるのでしょうか?
天文台の職員と言ってもいつも山の上にいるわけではなく、ふもとのヒロの街に住んでいるようですが。

ともかく星空のきれいなことはビックリします。

島全体が星の観測に協力して街灯を極力少なくしたり、ネオンを許さなかったり、大気汚染の防止に気をかけたりしているようです。

ビッグ・アイランドとかボルケーノ・アイランドの他にスター・アイランドと呼んでも良いとさえ思いました。


91 ハワイ アロハ倶楽部 Date:6/9/2003-Mon-7:50:52-PM 

私の住んでいる地域には町内会もあるし、その下の青年会もいまだにある。青年会は、地域の地名から一字取って「青蓮会」という。私もとうに青年という歳ではなくなったが、5,6年前までは会員だった。年齢制限はないのと、早く辞められると会員の数が減ってしまうので会長から辞めないでくれと慰留されていたから。

この青蓮会の仲間のうちでハワイ好きが集まって「青蓮会アロハ倶楽部」を作った。もう10年近く前になる。会長もいない。会員資格もないし、会則もない。いつもハワイに一緒に行く人が中心だが、今まで一度も行ったことがない人もいる。「在日」会員と称している。

年に2回総会と称して飲む。一度は暮れに住んでいる日本で、もう一度はワイキキのビーチサイドのレストランで。暮れの総会は、寒い日本を離れてハワイに行きたい、来年は何時行くか、ハワイで何をしようか、という話題に終始する。

私は今年で7回目のハワイ行きとなった。どこでもそうだが行った回数はある程度のメルクマールとなっていて、ハワイはまあ5回がメルクマールか。これでハワイ新人と中堅に分類でき、ベテランは二桁以上、達人は数十回であろうか。

毎年5月の末か、6月中頃に出発することが多い。アロハ倶楽部会員の多くは商店主で、商売が暇な時に出かけるからである。個人商店を巡る昨今の経済状況はまさにお先真っ暗でみんな豊かな状況にあるわけではないが、一年にいっぺんだけの海外旅行としてこれを生きる目標みたいにして日々を耐えている。

毎年行くメンバーは5,6人は固定しているが、それ以外は様々で、年によっては10人を超え、15,6人になったりすることもある。
みんなで団体を作ったり、パック旅行に入ったりするわけではなく、同一行動をとれる人は代表者がまとめてが同じ飛行機のチケットと同じホテルを予約するが、それに加わらず、違う日程、違うホテル、違う同行者の場合もある。みんなが同一行動を取るわけではない。ハワイに行ってからも徹底していて、一緒に同じ飛行機で行き同じホテルに泊まっているのに現地で一度も顔を合わさず、帰りに飛行場に向かうタクシーで再会することもあった。それでは行けないと今では一緒に行った人は少なくとも最初の晩をステーキハウスでディナーを取ること、帰る日の前の晩にあるホテルのバーで顔を合わすことにした。

定宿はワイキキのビーチに近いが日本人の少ない三流ホテルで、部屋は狭いし、バスタブのない部屋もあるが、安いのと足場が抜群に良く、景色もまあまあ。近くに一流ホテルがあるので、そこを我が物顔にうろうろしている。

日程がずれて来る人もいるし、京都に住んでいる人も来るのでなかなか一緒にはならない。一度は私の家の隣の家の家族が来ていたが、その家族が帰る日に私がハワイに着いたので全くすれ違いだった。

ある年、珍しい新参加者が加わることになったが、同じ頃にハワイに行くと言うだけで詳細は皆目分からなかった。どうも我々を口実にして親しい友人と二人で出かけたらしい。我々に紹介したくない友人のようだった。

ハワイで何をするのかと質問されると困る。悪いことをしているのでは疑う人が多いが、それはない。それぞれが好きなことをしているので仲間が何をしているのか分からない。

私は、いつも一人部屋かみんなと違うホテルを取ることが多く大体が一人で行動している。ただ、何かしたいことがあって仲間を誘えば誰かは付き合ってくれる。例えばゴルフ。ゴルフを一人でやるほど好きではないが、のんびりカートに乗ってハワイでゴルフを楽しみたいときは仲間に頼めば付き合ってくれる。前にセスナの体験操縦をしたら楽しかったので仲間を誘ったら一緒に行く人が出てきた。

時にはレンタカーでドライブに出かけるがこれも参加してもパスしても良いし、途中の観光スポットで途中下車して仲間と別れたこともある。
毎日買い物で駆けずり回っている女性もいる。

ハワイって何が良いんだ、と聞かれても困る。それぞれの楽しみがあり、何もないことが良いということもあるので。

参加したいという人はみんなで大歓迎します。初めての人でも仲間が分担して付き合いますので、楽しく遊べると思います。

仕事の山を前にしてフーフー額に汗をしている人には大変申し訳ありませんが明日から4泊6日で行ってきます。ごめんなさい。


92 ハワイ 6 ホテル Date:6/25/2003-Wed-10:47:09-PM 

ホノルル空港に着くと真っ青な空が迎えてくれる。目が慣れずにクラクラする。ホテルに着く頃は時差の関係で頭がボーっとしている。
先ずシャワーを浴びてからラナイ(ベランダのこと)に出る。どうしてワイキキの風はいつもそよそよと優しく吹いているのだろう。風が強かったことは一度もない。

ラナイのパイプ椅子に腰掛け、両足をもう一つの椅子の上に投げ出し、ホテルの近くのABCストアーで買い込んだバドワイザーをグビリと喉に流し込む。
「アー、またハワイにこれた」
暫くボーっとしたまま過ごす。

ラナイはホテルの必需品。これなくしてはワイキキ生活は語れない。私が泊まっている部屋は20階の角部屋で一方では隣の高級ホテルの屋根越しにワイキキの青い海が正面に見え、他方では軍の施設の公園、その先にヨットハーバー、遠くにはホノルル空港方面が見える眺望抜群の部屋。

2方向にラナイが付いているが、景色の良い方のラナイには脇に壁がない。普通のベランダは袖の壁や少なくとも通し柱が付いているが、この部屋のラナイには何もない。20階の壁に縦1.5メートル、横4メートル位の床が宙に張り出すように出ている。下からの支えもない。どのような構造でラナイの床が外壁に張り付いているのか分からない。恐る恐る飛び跳ねてみてもびくともしないので大丈夫だと思うが、いざという時には不安が残る。勿論フェンスは付いているがペラペラのステンレスで強く握ることもはばかれるような代物。揺する気にもなれない。所々壊れてはずれているところもある。

20階から下を覗き見下ろすと地上のガーデンコーナーの椰子の傘が見えるだけで遮るものはない。いつもヤバイナーと思いながらそれでも出ている。

高所恐怖症の仲間に話したら、その人は以後ラナイに近づかなくなった。

さて。
ワイキキのホテルは、ホテル自体の格で料金が違うが、同じホテルでも部屋の位置で料金がえらく違う。OF、OV、POV、CV等という種類がある。

OFはOcean Front(オーシャン・フロント)、ワイキキの海の正面。海真っ正面の部屋。
OVはOcean View(オーシャン・ビュー)、海が見える。部屋から無理しなくとも海が見える部屋。
POVはPartial Ocean View(パーシャル・オーシャン・ビュー)、部分的に見える。窓から首を伸ばすと切れ切れの海が少しは見える部屋も。
CVはCity View(シティー・ビュー)は街が見える。海は見えない。

部屋の値段はこの順。ワイキキの浜辺に水平に建物を建てれば表がOF裏がCVの2種類になってしまうが、それぞれ工夫を凝らして如何に海が見える部屋を増やすか苦心して建てる。浜辺に直角に建てれば角部屋を除きOFは無くなるが全ての部屋がOVになる。なかには8角形もある。これだと1辺はOF、4辺はOV、2辺はPOVで(かなり苦しいが)、CVは1辺で済む。

CVの料金は安いが、夜景が綺麗に見える。ホノルルの街はなだらかな山の裾野に住宅が建てられているので夜の街の灯りが宝石を散りばめたようでとても美しい。

OFだと夜は海が真っ暗だから、何も見えない。昼間は浜に出ている、あるいは買い物で走り回っていて部屋にいることがない人はCVでも満足できる。

OVではダイヤモンド・ヘッドが見えるか否かで料金が違う。勿論見えた方が高い。それに部屋が何階にあるかでも違っている。

更にホテルによってはガーデン・ビューだのラグーン・ビューだのコーナー・デラックスだのコネクティングだの言い出すから訳が分からなくなっている。これらを総合的に検討して自分の泊まる部屋を選び出すのもハワイに行く楽しみの一つ。

私は、旅行会社に頼むときは、旅行会社、航空会社、便名、ホテル、部屋、何時にチェックイン出来るか等を10冊以上の案内パンフレットを読みあさるので大変。


93 ハワイ 7 ハワイアン・ミュージック フラ Date:6/28/2003-Sat-3:21:54-PM

ワイキキの浜辺のホテルのプーサイドで夕陽の中、トロピカルカクテル、ブルーハワイを飲みながら、ハワイアン・ミュージックを背に元ミスハワイの踊るフラを眺めるのも楽しみの一つ。

最近日本でもハワイアン・ミュージックやフラの何度目かのブームが来ている。はやりのスローな生活や自然共生にもピッタリだからか。ウクレレがポヨヨーンと鳴るだけで心が穏やかになる。高木ブーの世界。

ワイキキのホテルで毎晩奏でられる音楽やフラは観光客向けのもので本来のものとは異なる。本来のフラは神様に捧げる踊りで、チャントと呼ばれるお祈りの曲に合わせて踊る。戦士が戦に向かう前に神様に先勝を祈った踊り。

本来男性の踊りで、女性が踊るようになったのは戦争で男性の数が少なくなってから。今でもこの古式の踊り(カヒコと呼ぶ)は時々見られる。まるで空手の型の演舞のような、今風に言うとエアロビクスのような勇壮な感じがする。

ホテルのフニャフニャした現代のフラ(アウアナと呼ぶ)ばかり見ていると飽き足らなくなり、古式のフラが見たくなる。が、これも暫く見ると妙に疲れてしまって、やっぱり軟派のフラの方が良いかと元に戻ってしまう。勿論この間に無数のバリエーションがある。

ポリネシアの人が大海原を星を頼りに太平洋をカヌーで渡ってきたのが6世紀頃。
それから穏やかな暮らしが続き、18世紀後半にクック船長がハワイ諸島を発見したことからハワイの近世が始まる。

その後カメハメハ大王の統一ハワイ王朝が成立したものの、御用役人の白人が権力を握り、1894年にはハワイ共和国、1898年にはアメリカ合衆国の領土となり、1959年には合衆国50番目の州となった。つまるとこるはアメリカの帝国主義的な植民地ということでしょう。今時、帝国主義的なんて言葉に照れるね。

ハワイに渡ったキリスト教宣教師の倫理観からフラは野蛮な淫らな踊りと禁じられた。言葉も公用語は英語になった。
現在の人口は約120万人。ハワイ先住民系は10%に充たない。クック船長が来た頃は人口30万人くらいだったが一緒に入ってきた伝染病で100年後には7万人くらいに激減してしまう。

白人は土地を私有化し、タロ芋畑を潰してサトウキビのプランテーションを作ったが労働人口が不足したために移民を呼び込むことにした。元々ハワイ人は労働意欲はまるでない。

移民は最初は中国から、続いて日本から。結果、多民族国家が出来た。人種、言語、文化もマチマチ。

ネイティブなハワイ語を話せる人は1970年代でも1500人くらいしかいなかったのが1995年には100人足らずになってしまった。1990年代にようやくハワイ・ルネッサンスが起き、現在では1000人には回復している。小学校からハワイ語の教育をしている。

今では古典的なフラがハワイ語の歌(メレと呼ぶ)に合わせて踊られるようになった。

国土ばかりか言葉、踊り、音楽をも奪われたハワイ。名前が変えられたといつまでも騒いでいるな、と言い出す人もいるか。私ではない。念のため。

それでも先住民系が人口の10%に足らないのでは原理主義的民族主義なんて起きるわけがない。それでなくとも優しい穏やかな人々である。
産業と呼べるのは観光だけ。その他の収入はアメリカの軍事基地関連しかない。独立なんか出来ないし、する気もない。

民族の文化とは、と考えさせられる。

考えてみれば、私も日本舞踊なんかとんと見たことがないし、民謡すら聴かない。ハワイアン・ミュージックやフラにうつつを抜かしているようでは日本の文化も滅びるか。

反省。


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