アフリカ

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42 エジプト Date:7/7/2002-Sun-6:01:49-PM 

エジプトの観光地、ハトシェプスト女王葬祭殿でイスラム過激派による銃の乱射事件が起き、多くの観光客の命が奪われてからエジプト観光が危険であることは世間に知れ渡った。

友人を誘うと「危ない」、「怖い」、「女房が反対している」とか断られた。
「命が惜しくて海外旅行が出来るか」と啖呵を切っても始まらない。
帰ってきてからも「大丈夫でした?」、「危なくなかったですか?」と聞かれたが、「全く危なくなかったですよ」、「こんな安全な海外旅行は初めてでした」と答えた。

どの観光地も回りを鉄条網で囲み、観光客以外は入れない。入口には兵隊が機関銃を持って警備している。装甲車も並んでいる。ホテルも玄関で金属探知器でチェックしている。
観光地と観光地の移動は飛行機を使い、バスは使わない。
バスで高速道路を走っていても、いつの間にかパトカーが付いて守っている。

こんな安全な旅行は初めてだった。

ピラミッド

カイロ郊外のギザに大中小のピラミッドが並んでいる。一番大きいのはクフ王のピラミッド。確かにでかい。唸るほど大きい。

てっぺんが少し欠けている。ガイドは地震で崩れたという。私は、後の時代の権力者がピラミッドを取り壊そうとして、取りかかったものの、あまりの大きさでバカバカしくなって止めた跡だと思う。大体、いつの時代も権力を握った者は前の時代の権力者の痕跡は消し去るのが常で、それがサガだ。

ピラミッドは権力を超えている。

スフィンクス

スフィンクスは意外と小さい。ピラミッドと並んで写っている写真をよく見るが、あれは写真の撮影の仕方でスフィンクスが大きく見えるように撮っている。本物は「エッ」と思うくらい小さい。最初は無くなってしまったと思った。

アブ・シンベル神殿

ナイル川を堰き止めてアスワン・ハイ・ダムを建設する際、湖底に沈む筈だったのを神殿を裏山ごと移動したもの。

想像していた物より大きい。こんな物を良く移動できたと感心する。こんな山までどうやって移動したのかと疑問に思ったが、山は中身のないガランドウとのこと。

小学校3,4年生の頃ユネスコの募金に応じて小遣いを募金した。いくらだったかまでは憶えていないが、少しは役に立ったのかと感慨深い。


70 アレキサンドリア Date:2/15/2003-Sat-4:03:08-PM

アレキサンドリア
アレキサンダー大王が築いた街。クレオパトラゆかりの街。クレオパトラはギリシア系の金髪白人だったそうな。
クレオパトラというとエリザベス・テイラーの顔が嫌でも浮かんでくるがそう遠くはなさそうだ。でもあれほど濃くはないようだが。
現在はクレオパトラゆかりのものは残っていないし、見所も少ない。

アラブというとベリーダンス。
ベリーダンスというと「酒池肉林」という言葉を連想しません?とってもいやらしそうで良さそうで。日本だと時代劇の中の「元禄花見踊り」か。随分違うけどこれも砂漠の民と農耕民族の違いか。

観光でベリーダンスを見たが踊り手が3流だったのでちっともいやらしくも良くもなかった。残念。


● 85 エジプト 2 カイロ考古学博物館 Date:4/18/2003-Fri-5:23:41-PM 

エジプトの首都カイロにカイロ考古学博物館がある。エジプトの5000年の歴史が詰まっている。と言っても国中にピラミッドや神殿等の遺跡だらけだから博物館の存在価値は低い。

入口にロゼッタストーンの原寸大コピーが飾ってあるのは悲しい。勿論本物は運び去られ、ロンドンの大英博物館の目玉商品となっている。

こちらの目玉は何と言ってもツタンカーメン。ツタンカーメン王の埋葬品が見事で、かなり広いスペースを占めている。ルクソール西岸の王家の谷で発見されたツタンカーメン王の墓は規模としては小さい方だが盗掘されていなかったので埋葬品がそのまま残っていた。

墓の広さは見た感じ6畳二間といった位か。「冗談言うな。もっと広いわい」とツタンカーメン王に叱られそうだが、そんな感じだ。王のミイラは石棺に入ったままこの墓の中に今でも残されているがそれ以外の埋葬品はカイロ考古学博物館に陳列されている。

その数たるや大した物だ。王が蘇った時に必要になる生活用品の全てが用意されている。何から何まで。発掘時の写真を見ると部屋中に家財道具が詰め込まれているようで、お墓という厳粛さは全くなく、まるで物置のようだ。言い換えるとアート引越センターの大型トラックに家財道具を詰め込んでガードマンが2人付き、おまけにでかい何重もの棺桶に入った本人まで寝ていたというような状況という感じだ。

黄金のミイラマスク、黄金の棺はやはり素晴らしい。本当に光り輝いている。東京で並んで見た人も多いと思う。

ところで若くして死んだツタンカーメンでさえこれだけの金製品を用意できたと言うことはもっと長生きをし権力絶大だった王様はものすごい量の金製品を用意したのだろう。エジプトには莫大な量の黄金があったのだ、と考えていた。いやー、待てよ。死んで墓に入っても直ぐに盗掘にあっていたはずだからエジプトが持っていた金の量は案外大したことなかったのではないかと気が付いた。

盗掘した連中もそうは長い期間自分で持っているわけがなく、直ぐに吐き出し、それが流通に乗る。それを次の王様が自分の墓のために買いあさる。それを何千年も繰り返していた。

たまたまツタンカーメンだけは盗掘を免れたからその分は流通に乗らずにいわばタンス預金のように死蔵されていたと言うことになる。現代だってエジプトには大した金なんかないようだし。

ミイラだけが並んでいる特別室がある。エジプトの歴代の王様で一番力があり、長生きしたラムセス2世のミイラのもある。自己顕示欲が強く、国中に巨大な自分の石像を無数に作り、並べ続けた大王。子供も何十人もいたとか。今生き返ったら、こんな狭いうす暗い部屋にしなびた全裸で寝かされ見せ物にされていたと知ったら直ぐに再び憤死するだろう。


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