川鉄公害訴訟の思い出

稲葉 正 先生

 

1.「血湧き肉踊る20年間の裁判」(2006年9月26日 高退教だより)

 ドラマは高教組が県教委を違憲な指示のかどで訴えたことに始まる。県の顧問弁護士で県弁護士会長だった三橋三郎氏が、県教委の不当な訴訟対応に憤慨して顧問弁護士を辞任するばかりでなく、180度立場を変えて住民側の公害裁判の原告弁護団長に変身した。

 これが川鉄敗訴の糸口になり、権力側にとっての大ショックとなった。この時、三橋弁護士の談話「先生方が生徒の人権と健康を護るために身を挺しておられる姿に私は心をうたれた。権力のために弁護をし全部否定しても喰ってゆくくらいの事はできるよ」と。こうして千葉県弁護士会は小川徳次郎氏1名を除いて全員が川鉄の弁護を拒否することに結束した。

 川鉄公害訴訟は日本中を揺り動かした。遠い私の郷里の富山でも私の知らない人が新聞をひっさげて私の家へ駆け込んだ。「やったやった、とうとう独占企業の本丸に喰らいついたぞ」と叫んだ。これは全国の被害者の鬨の声であると思われ、血の沸(ママ)る事ひとつ。

 次は、裁判所の中に味方がいた事。初代の裁判長は企業べったりの訴訟指揮が目立ったので陪席裁判官が反対して合議がまとまらず、いつまで待っても裁判官が出られず、裁判は無期休憩、裁判官全員が更迭でとうとう企業寄りの指揮は打破された。二代目の小木曽裁判官は明敏な人で、「被告川鉄は何を言っているのか分からない。裁判所を動かしたいならもっと明快な主張を出しなさい」と叱責されて被告川鉄は赤恥をかいた。
 その間にかねて出願していた訴訟救助の請願が「原告勝訴の見込みなきに非ず」との宣告で第一段階の勝利となった。

 三代目四代目の裁判長は企業寄りの人で、原告患者のカルテ全部の提出を求めるという川鉄の要求を認めてしまった。しかし原告弁護団の迅速な抗告で高裁で川鉄の要求は却下されて、裁判処理の道がほの見えてきた。原告の被害立証映画は大変な人気で、裁判所職員の手空きの人殆どが法廷に集まり、立錐の余地もない状態で、撮影者の福永ひろし市議と私は晴れがましいことになって、強力な成果が上げられたらしい。川鉄はその後無茶な上告をして、全面的謝罪と一審に数倍する金を払わされ、更に莫大な弁護士費用を失うことになったが、これはひとえに原告の立証力を甘く見ていた故であろう。
(2006年9月)



2.公害の笑い話「その一」(川鉄公害裁判)(地域の公害対策宣伝紙「あをぞら」より)

 この30年来、公害をなくす闘いが続けられて千葉の公害もやや改善が見られてきた。
 昔にはまったく笑い話のような珍事があった。将来の心得のためにその一つ二つを記録しておこう。

 その一「官僚公害」
海の汚染がひどいというので県議会の面々が視察に廻ることになった。すると情報が漏れて各工場では、ばい煙や着色水や油を排出しないように、議員の視察予定を時刻まで通知してぼろを出さないように指令したのはよいが、それらを文書で知らせたので工作がすべて露見してしまった。

この視察妨害妨げは県の公害対策局長と大気保全課長が二日がかりで各工場に電話をかけまくって内通した結果であることが判明して県議会の大問題となった。
お二人のエライさんが懸命にスパイを働いている様を想像すると腹立ちをこえておかしさがこみ上げてくる。

こういう官僚を雇っている納税者は悲惨というほかない。
これは「耳打ち事件」と呼ばれ、二人のエライさんは更迭されて、前よりももっと出世した。

その二「四者タグマッチ」
昭和47年4月20日に千葉市今井で環境基準の8倍という亜硫酸ガス汚染が起こった。
県のエライさんは充分に調べもしないで、この高汚染は千葉市の測定ミスによる値で、川鉄のせいではないと言ってのけた。

ところが千葉市のほうには住民や高校生の自主測定チームができていて千葉市の測定値は正確であると検証し、千葉市はその激励をうけて県と川鉄に抗議をしたのでここに2チーム間のタグマッチが起こった。

市では県から誤りとされた測定器のほかに、別の測定器をそろえて両方の測定値の比較を長期に亘って行なったところ、両器の指示はよく一致して市の測定器の正確さを示した。
こうして県のエライさんは降伏して新聞紙上で陳謝することになった。
これで市の公害対策の信用は高まり、川鉄は責任を追及されることになった。
この間、市の担当者は川鉄と喧嘩する意気込みで仕事に当たり、市民は先ずは市が護るのだという信頼が得られるようになった。

その三「公害裁判費用は大企業から」
公害裁判の費用は被害者の窮状を思えば、被害者原告団に拠出を求めることは到底考えられない残酷な仕打ちである。弁護団の奮起が得られ、原告団の結成は惨憺たる説得で漸くその緒についたものの費用の見込みは皆無である。

公害裁判費用は何等かの組織から支出されたのは、全国に唯一例、イタイイタイ病裁判に富山県婦中町が町財政から支援をした件が見られるのみである。千葉の公害について千葉県や千葉市が財政支援をする事は望外である。

全く見込みのない所に天から金が降ってきた。「東レ」が理科教育賞30万円を千葉高校物理科に贈ったのである。早速、協同研究者・島田元信、桜井謙聿、関幸夫、朝生邦夫各氏の同意を得て原告弁護団に提供した。

応対した田村徹弁護士は「それは筋が違う」と受け付けない。「着手金を払わないと、我々は訴訟依頼人になれない。是非受け取られたい」と押し問答し合い、弁護団事務局長の高橋弁護士から「ひとまず預かっておこう」と落着をみた。

千葉高の教育研究「光電効果の限界波長について」を受賞第一席に推薦したのは東大出身でない唯一人の東大総長として、反権力の象徴であった茅誠司氏であったことは奇しき暗合であった。東レはこれをもって一毛の自浄行動を果たした。

その四「尼将軍、鶴の一声」
 公害訴訟原告団・弁護団の定例会、当然他人に委せておけないつもりの実質幹部極少数が集まる。高齢の弁護団長は信念をもって委せているから不在。実質的に最高指導者の弁護団事務局長は所用あって不在。それでも何でも決めてゆくぞという腹を固めている面々ばかり。

緻密な計画力をもつ鈴木守弁護士が訴訟活動の予算書を作って呈示した。訴訟準備の資料や印刷費・旅費や弁護活動の手当などまとめると数千万円の予算となる。補償金10億円を要求する訴訟の費用としては無理なものではない。弁護団副団長の小高氏も「手弁当でやるわけにはいかないものね」と、これも無理からぬ言葉。

金のあてのない原告団一同、寂として声なし。予算額の莫大さに驚くばかり。予想の通りだが全く進展なし。この時、高橋高子弁護士が静かに言う。「あなた方は、この裁判を手当をもらってやるつもりですか。」

この一声で弁護士一同あわてて「とんでもない。そんなつもりではない。予算を書いてみたのは参考のためです。」この時以後、訴訟費用について話がでた事は絶えてなし。支援する会が組織されて、有志の人の根限りのカンパと弁護団の自らの負担で20年間賄われました。痛ましい持出しが続いたのは有難い事でした。

(申し添え)

  1. その三は、東レから理科教育賞30万円もらった話ですが、これは30万円どころの話ではなく選考委員長・茅誠司さんから丁重な挨拶を頂きました。茅さんはまるで我々の年々闘争・年々処分を知悉しているかのように「永い間、ご苦労なさって有難うございました。」と言って、我々の研究を賞賛し、受賞の第一席に挙げ、受賞者の代表挨拶を頼まれました。そこで私は度肝を抜く挨拶をしてくれよう考え、「この企画の主旨に忠実に最低の費用で全生徒が感銘するような費用130円の授業を発表したところ望外の賞を頂いて驚いています。」と述べました。
    茅さんの温かいねぎらいは30万円どころではない激励を公害裁判に与えました。
  2. 第四話は、表面上は笑い話になっていますが、実は原告団の悲鳴であって、これが危機一発避けられた内心の苦闘は有り体に言って鬼気迫るものであったのです。尼将軍という表現は少しも誇張ではありません。
    表面には全く現れないで、結局最期には解決金が充分に取れたため、回復がなったのですが、この件が扱い誤れば原告団は互解しかねない瀬戸際であったのです。女性のしたたかさを見せられた一件でした。